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歴史人物を評価しましょう!!

[1] あそ 2003/04/17 15:55

ここは歴史人物を評価するところです。
歴史人物でしたら誰でも構いません。(農民、森前首相等・・・)
このように評価してください。
武力1〜100個人の武力です 必須
智謀1〜100策略、謀略等です 必須
知力1〜100智謀とは違いその人の頭の良さを評価してください 必須
魅力1〜100個人の魅力です(人を引き付ける力等・・・) 必須
統率1〜100その人がどれだけ人を統率できるか、です 必須
[特徴]その人の特徴を書いてください 必須
[備考]そのまんまです 備考を書いてください 書かなくてもよいです
では早速気づいたことのある人もいると思いますが
私は某ゲーム会社の三國志のゲームが好きです。
ではこのスレッドを宜しくお願いします。

[2] ポッポロ 2003/04/17 16:27

森元総理大臣
武力 0
知謀 0
知力 0
魅力 6
統一 0
[特徴]
目がたるんでいてタヌキのような温厚な人物。
ナマケモノに似ている
英語がとても得意
[備考]
政治家よりコメディアンの方が向いている

[3] 項羽 2003/04/17 16:40

織田信長
武力 75
知謀 85
知力 98
魅力 80
統一 90
[特徴]性格はきわめて危険だが決断力と発想力に富む
[備考]桶狭間の戦いの勝利と鉄鋼船を作った事はすごいと思います。

[4] the〜4 2003/04/17 16:46

武田信玄
武力 40
知謀 60
知力 70
魅力 75
統一 50
[特徴]甲斐の田舎大名。信濃平定に十数年もかかった。兵站を無視し、戦線を拡大しすぎて財政が破綻した。おまけにハードゲイ(当時は普通だったが。
[備考]騎馬軍団は捏造。

[5] あそ 2003/04/17 17:43

項羽
武力 97
智謀 87
知力 72
魅力 59
統率 42
[特徴]
劉邦と覇を争った群雄
[備考]
劉邦との決戦では数百人を自分で倒す、という神業をみせる

[6] ポッポロ 2003/04/17 17:48

でも自分勝手すぎじゃありませんか???
人の言うこときかないし・・・
漢信手放しちゃったし・・・・

[7] あそ 2003/04/17 17:52

>>6そうですね(笑)
韓信を手放すあたり人を見る目はなかったのでしょうか?
しかし一人で数百人の雑兵を倒すなんてすごいですよね!

[8] ポッポロ 2003/04/17 18:02

豪傑ってやつ!

[9] あそ 2003/04/17 18:10

そうです!

[10] ポッポロ 2003/04/17 18:26

曹操の統一力は凄い!!!
そして董卓の方が凄いが

[11] ポッポリ 2003/04/19 14:56

削除されたな・・・どうせあいつがだしたんだろう・・・・

[12] Barurogu 2003/04/19 15:10

ハハ、削除依頼スレには依頼出てませんネ。良識ある削除人さんが消してくれた
んでしょ。
と、いう事で、趣旨に戻りましょう。

[13] ポッポリ 2003/04/19 15:14

じゃ、やるか!
呂布奉先
武力100
智謀50
知力20
魅力100
統率100
[特徴]
強い、根っからの武人
[備考]
傲慢な所が少しある。

[14] イカ 2003/04/19 15:34

>>13魅力と統率が100ですか?
僕でしたら魅力39統率65ぐらいにします。(あくまで自由です)

[15] イカ 2003/04/19 15:45

于禁
武力92
智謀72
知力69
魅力69〜32
統率74
[特徴]
武力が高く智謀もなかなか
[備考]
裏切ってから魅力低下

[16] ポッポリ 2003/04/19 16:04

呂布の軍が最強だったのなら、ついていく程魅力があり、統率力も高いと思う。
(あくまで自分の意見ですが)

[17] ポッポロ 2003/04/19 16:46

ここって武将じゃなきゃだめなの?

[18] the〜18 2003/04/19 16:51

紫式部はどう?
世界五大偉人偉人かなんかになってたし

[19] Barurogu 2003/04/19 16:52

>歴史人物でしたら誰でも構いません。(農民、森前首相等・・・)
だそうなので良いと思いますよ。しかし農民って・・(苦笑。

[20] ポッポロ 2003/04/19 16:53

農民に武力を付けんの?

[21] イカ 2003/04/19 16:54

>>20張飛だって元は肉屋ですよ!

[22] ポッポロ 2003/04/19 16:55

分かり申した!

[23] イカ 2003/04/19 17:11

徐晃 公明
武力89
智謀79
知力81
魅力93
統率98
[特徴]
自らを律する
[備考]
三國志ではブサイク

[24] 項羽 2003/04/19 17:25

豊臣秀吉
武力40
智謀70
知力90
魅力60
統率60
[特徴]農民から成り上がった武将
[備考]朝鮮出兵の頃はすっかり落ちぶれているかも。

[25] イカ 2003/04/20 06:29

曹操 孟徳
武力86
智謀97
知力91
魅力100
統率94

[26] イカ 2003/04/20 06:30

劉備 玄徳
武力72
智謀64
知力72
魅力94
統率61

[27] 項羽 2003/04/20 12:24

島津義弘
武力100
智謀40
知力50
魅力92
統率97
[特徴]島津家17代当主とも言われているがさだかではない。数々の戦で勝利を収めている。
[備考]関が原の際、西軍の敗色が濃くなると敵陣の真っ只中を突き抜ける中央突破を見事に成し遂げた。

[28] ポッポリ 2003/04/20 12:43

ちょっと質問!(スレに関係ないかもしれないけど、まさか三国志のスレでもきけないので・・)
中国最強の武人は呂布と言われていますが・・・
日本だと誰になると思いますか????

[29] 項羽 2003/04/20 12:57

史実上(?)で最強と言われているのは上杉謙信ですが、定かではありません。

[30] ポッポリ 2003/04/20 16:49

★そうなのか・・・・・・・しらんかったよ★

[31] イカ 2003/04/20 17:55

李典
武力82
智謀69
知力73
魅力87
統率91
[特徴]
800の兵で10万の孫権軍を迎撃しようとするのを止める。
[備考]
バランスが良い

[32] 項羽 2003/04/20 18:19

伊達正宗
武力77
智謀86
知力93
魅力87
統率80
[特徴]伊達家第17代目当主。独眼竜の名で有名。
[備考]騎馬鉄砲隊。 

[33] さとし 2003/04/20 18:31

馬岱
武力 82
智謀 61
知力 53
魅力 72
統率 79
[特徴] 義理が強く、孔明の遺言を守って裏切った魏延を倒す。
[備考] こういう武将なら自分が死んでも安心できる。
いや〜、馬岱はかっこいいなあ〜。

[34] キング 2003/04/20 19:08

本田忠勝
武力 95
智謀 60
知力 46
魅力 80
統率 89
[特徴]家康に過ぎたるものと言われ戦場を駆け巡ること57回、傷一つ付かなかったという。
[備考]名槍「蜻蛉切り」最高。

[35] クイーン 2003/04/21 04:31

紫式部(私的にみて・・・)
武力5(平安時代は男性でさえ(*_*)ダメダメです。)
智謀60(中宮と道長に批判的な実輔の連絡係になり、
それがもとで宮中を去りました。
それに物語で貴族の権力争いもかいてますし。)
知力80(文学ー漢文・和歌に偏ってます。)
魅力50(もてる女性ではありませんでしたし、敬意を一応払われても、
宮仕えでも他の女房とうまくやってませんでした。)
統率30(恐らく統率する必要性がほとんど無い人生でしょう?!)
[特徴]平安時代の男女間のうざったさを物語で発散させたむっつりスケベ女性
(みんなこんな地味な女があの濡れ場シーンを書いたのかと思ってたことでしょう。)
[備考]「源氏物語」がこんなに後世まで語られるなんて本人も驚きでしょう。

[36] 項羽 2003/04/21 14:16

今川氏真
武力 0
智謀 0
知力 9
魅力 42
統率 0
[特徴]栄華を極めた今川家を衰退させていった張本人。蹴鞠の名手。
[備考]放浪の身となった氏真は蹴鞠などを楽しんで過ごしたらしい。本人にとってはこれで良かったかもしれない。
   

[37] イカ 2003/04/21 16:55

項羽さん、あなたには人物評価上手人物という称号をつけましょう。

[38] 項羽 2003/04/22 15:20

ありがたい。

[39] 大谷吉継:元スナイパー狼 2003/04/22 22:40

大谷吉継

武力47
智謀90
知力90
魅力32
統率95
<特徴>朝鮮出兵時、ハンセン病にかかり白い布で顔を隠したことで有名。後
   石田三成の親友でもある。
<備考>関ヶ原の合戦でも、小早川の裏切りを見抜いたが、他の4将が、裏切る
   所までは、見抜けなかった。その後自害した。

[40] 富山いずみ高校 2003/04/24 00:14

徳川吉宗は暴れん坊なので評価は20点(100点満点)

[41] 項羽 2003/04/24 15:34

竹中重治(半兵衛)
武力65
智謀93
知力84
魅力73
統率84
<特徴>羽柴秀吉の軍師。斎藤家の家臣時代は文人肌の軟弱者と軽蔑されていたが、
   ある日突然、斎藤家家臣の安藤守成と共に挙兵し稲葉山城城主斎藤龍興を追い出す。
   しかし1年後「面目がたった」として城を龍興に明け渡し自分は近江に隠居する。
<備考>この隠居した半兵衛のもとに秀吉は7回も訪れたという。
   半兵衛は三木城攻めのとき病気になり一度京に戻り治療したが治らず、
   「どうせ死ぬなら陣中がいい。」と言って帰陣し、そこで没した。享年35歳。
   
   長くてすいません。

[42] 板東英二 2003/05/13 22:05

板東

[43] 劉岱 2003/05/14 23:21

>>28、29
ちょっと待った。最強の武人ってったら
八幡太郎義家か悪源太義平とかだろ(自分的には後者)

謙信が強いと言うのは信玄と互角の戦いをしたから。
で信玄が強いと言うのは徳川が負けた事のある相手だから。
じゃねーの?

[44] 項羽 2003/05/16 16:01

>>43だから、定かでは無いって書いてあるよ。
まあ上杉謙信が強いって有名(?)だから書いたまで。

[45] Barurogu 2003/05/16 16:09

>八幡太郎義家か悪源太義平とかだろ
なぜこう言い切れるか不明。

[46] 花鳥 2003/05/16 18:44

張遼
武力87
智謀67
知力83
魅力89
統率94
[特徴]武勇に優れる。深い叡智を持つ
[備考]漢の中の漢。その名を聞けば泣く子も黙る。

[47] 項羽 2003/05/16 19:57

柴田勝家
武力86
智謀60
知力46
魅力80
統率89
[特徴]織田家筆頭家老。稲葉山城攻略、姉川合戦、長篠の戦いなど織田家の主要な戦いにはすべて参戦し、織田軍団の中心武将であった。
[備考]六角義賢の大軍を少数の兵で破り「瓶割り柴田」と言われた。

[48] 劉岱 2003/05/16 20:03

>>44
武将なら文句なしで謙信なんだけど・・・(光栄に毒されてる?!)
武人って書いてあったからね、個人的な戦闘能力を重視したんです。

>>45
平家物語が根拠ですよ。
武人の中の武人、という名称は彼にこそ・・・!
って私がファンだからなんだけどさ(笑)

[49] 項羽 2003/05/16 20:42

ほんとだ。>>28武人って書いてあった。質問よく見てなかったな。

まあ自分的に最強はいないと思うが・・・・・。

[50] 劉岱 2003/05/16 21:19

>49
>最強はいない
確かに時代の違う人間を比較しても意味無いですもんね。

中国では呂奉先より項羽の方が最強の武人に相応しい人だと思います。
でもそう書くと>45さんに根拠を求められるかな?
根拠は無いよ、今度こそ(笑)思っただけ。強いて挙げるなら華がある点かな。
呂布の死に様と項羽の死に様では項羽の方が心に訴える力強くない?

[51] 諸葛亮仲達 2003/06/01 22:07

諸葛亮孔明(181〜234)
武力:24(武将というより政治家
知謀:92(100とつけたいが、戦略家ではないので92ぐらい 
知力:100(これは100。孔明の政治手腕は伊達じゃない 
魅力:99(北伐の際、蜀の桟道は行進が辛いので、
     (普通は多くの 兵が逃げ出すが、
     (蜀の兵はほとんど逃げなかった。
     (これは一重に孔明の誠実さ魅力が大きく影響してるだろう
統一:76(軍略家ではないので、統一には少し不充分なとこもあったかも
「特徴」:蜀漢の丞相、先帝劉備の意志を継ぎ北伐を行なうが無念にも五丈原で没
「備考」:54歳まで生きてたので、短命とは言えないが、この人の場合、これは短命というしかない 

[52] 板東英二 2003/06/03 17:59

源義経
武力 98(これは彼の武勇はすごかったと思うから。)
知謀 89(あれだけ平家に勝っているのだからまあまあの戦略だったのでは)
知力 56(頼朝の行動が読めなかったのはすこし減点対象)
魅力 89(弁慶がついていたのでなかなか魅力はあったのでは)←私の見解
統率 95(崖の上から平家軍を奇襲し、兵をみごとに統率したのは並大抵では
      無かったのでは)
【特徴】頼朝と馬が合わなかったのは残念。

[53] 偽ターザン 2003/06/04 00:25

なんかすごい偏ってるので西洋の出します
ハンニバル・バルカ(バルカスと書いてある本もある)
武力 65
智謀 250(戦史上屈指の大殲滅戦を演じて見せた)
知力 96 (ローマの結束力を見誤ったの減点)
魅力 96 (兵士に裏切られたことはなかったと思う)
統率 180(多くの蛮族も含んだ軍隊で敵地ローマ領を駆けめぐった。あとアルプス越え)

【特徴】
人類史上屈指の将軍。一説には政治手腕も長けていたという
ザマでスキピオに敗れたのは、得意の包囲戦術を使うための騎兵が不足していたことが原因
彼の最後は自殺とある

[54] 項羽 2003/06/04 15:47

>>53
最大100までだぞ。

[55] 偽ターザン 2003/06/04 16:28

三国志基準だと100越えしないと評価できない人物がたくさんいる
100越えを許容するか、他を下げるかしないと評価できない
それと、書いた人物の誤認識があったら教えてください
とても勉強になるんで

[56] 諸葛亮仲達 2003/06/04 23:01

53>勝手な独断と偏見だけで、三国志基準だと100越えするといい、勝手に100越えする能力値をつけるのは止めていただきたい。
それにハンニバルがどこまで優れてるか説明してもらわないと解せない。

[57] 偽ターザン 2003/06/05 01:36

正直スマンかった
250はやりすぎた
しかし、100を越えてしまうことまで撤回することはできない
それと
武力=個人的な武力
智謀=戦術・戦略を含めた総合的な戦闘能力
としてつけた

[58] イカ(魚介の先生) 2003/06/05 17:50

100で表せない人はいませんね。
100が限度です。
100が限度です。
100を越える人はあなたですね(人の言うことを聞かない力)
>>55 100は越えさせません。

[59] 偽ターザン 2003/06/05 17:55

OK
わかりました
100以内に収めていきます
基準は自分の中で決めていけばいいんですもんね
このスレは好きなのでそうさせてもらいます

[60] THE60 2003/06/06 17:15

ハンニバルですか。好きだなぁ・・・。
100越えさせたくなる気持ちは分るが、ルールは守らないとね・・・。
>>56
ある本の記述を全面的に信用すると。
会戦において騎兵戦力を活用した包囲殲滅戦術を駆使し、恐るべき戦果をあげた。
(カンネ会戦の話は今でも欧米の士官学校では必ず扱うそうだ)
戦略眼も相当で、首都ローマの喉元にまで迫る。
(今のスペインからアルプス越えてイタリアに攻め入る)
(北伐みたいにいうと・・突然長安の城壁前に蜀軍が沸いたような。オーバー?)
(勿論、そこさえ落とせばどうにかなるのかって問題は別)
(彼はローマ周辺の都市の寝返りを期待した、らしい)
(恐るべき戦果をあげたことが寝返りの前提、戦果はあったがローマの結束は固かった)
また、ローマ領土に『16年間』居座り続けたが、金で雇われた傭兵達は彼を見捨てなかった。
本国の補給が受けられなかった、独りだけ傑出しすぎていた等、悲劇性もアリ。
長くて申し訳ないが、こんなのでよろしいか?

[61] 老人 2003/06/06 20:01

ヌルハチ(奴児哈赤)(後金の建国者)(清の太祖)
【武力】94
【智謀】87
【知力】92
【魅力】89
【統率】90
武力
個人的な強さは知らないが、生涯で敗北したのは寧遠城の戦いだけ
そしてこれが彼の最後の戦いになる
敗因は相手のポルトガル製新型大砲によるもの
寧遠城を指揮していたのは明の袁崇煥
智謀
後金を興し、それを巨大な勢力に変えたのだから智謀に疎いわけはない
部族との抗争を勝ち抜くにも必要であったろう
しかし、明が忙しかったのも事実なのでマイナス
知力
智謀と被りそうだが、まあ馬鹿には巨大な国家に成長させることもできないし
運営も無理
満州文字を創った功績は非常に大きい
魅力・統率
部族のアイデンティティーを高め、周囲に知らしめた
25歳で族長となり、後に清の太祖と呼ばれる
特徴
とにかく強い
サルフの戦いにおいての作戦指揮は、近代の世界各国陸軍の教典として使われるほど完璧であった
31歳のとき明から竜虎将軍の称号を得る

[62] 諸葛亮仲達 2003/06/06 22:49

曹操孟徳
武力:71(文武両道でもあったからこのぐらいはあるだろう・・・戦場にもでてたしね
知謀:98(用兵にかけては、天下一である。奇策を用いるのがうまい。官渡の時や馬超との戦いの時は良かった
知力:91(詩とかも作成してたぐらいだから、普通に頭はよいだろう
魅力:95(曹操は厳しく罰っし功あるものは必ず誉めた。信賞必罰
統率:100(言うまでもなく満点評価。
「特徴」帝を擁し、漢の丞相となり、魏公、魏王となり、皇帝の位まであと少しだったのにも関わらずそれを拒み没
「備考」乱世の奸雄と言われ、三国志演義では悪役だが、彼が真の三国志の英雄、主人公だろぅ

[63] 雲中子 2003/06/07 14:38

話の腰を折っちゃうかなー?

勝海舟
どうです?
みんな強さとかで評価してますけど彼も幕府初の「海軍奉行」ですからねー
強いかも…
剣術の腕も確かだったらしいし。

智謀・知力 
これは凄いですよ。
何しろ明治維新が世界的に例を見ない「無血革命」だったのはこの人のおかげですからね。

魅力
明治維新の英雄と言えば西郷隆盛と坂本竜馬が筆頭に挙がるでしょう。
でもこの二人が口を揃えて
「日本一の男」
と評したのが誰あろうかの勝海舟です。
日本人が憧れるヒーローたちが揃って憧れた人物…
魅力がない筈がない。

統率力
江戸幕府最晩期…
誰もがそのコントロールにサジを投げたとき皆が最後に頼った人物…
それが勝海舟。
「江戸城を枕に玉砕だー」
っていう幕臣どもを説得し
猛り立った官軍の司令官西郷隆盛を鎮めて江戸城無血開城。
こんなことやった人ほかにいないでしょ?

とまあかなりの思い入れで書いちゃいましたけど…
彼のエピソードで私が気に入っているのは
妻子にいつものように「出掛けて来る。」と言って出て行ったきりいつまでも帰って来ない。
どこに行ったかと思えば咸臨丸で太平洋を横断してアメリカに行ってたんだって!
「男の魅力」ってのはこんな些細なところによく現れてませんか?

[64] 諸葛亮仲達 2003/06/09 12:17

呂布(演技ベースで
武力:100(間違いなく100。一騎打ちでは敵なし
知謀:34(目先の利しか考えてない。
知力:41(馬鹿だが、少しずる賢い
魅力:81(父親を二回も殺しておきながら、部下がついてきてくれたのはそれだけ魅力もあったから
統率:76(戦闘での統率は著しいものがあるが、最後に部下に裏切られらのは、日頃の統率が低かったか
「特徴」後漢最強の武将。己の胆力のみを信じ部下を信用せず、曹操に破れる。
「補足」実は正史ではあまり目立った強さを発揮してない(残念

[65] 項羽 2003/06/09 16:00

真田昌幸
武力:76
知謀:98
知力:90
魅力:87
統率:95
[特徴]安土・桃山時代屈指の戦略家。第一次、第二次上田合戦では徳川軍の大軍をわずか数千で撃退した。
[補足]関が原の戦いでもし関が原にいたら裏切りを察知できたかもしれないのが残念。

[66] 諸葛亮仲達 2003/06/10 23:52

劉備玄徳(正史and演義の面から
武力:81(演義では頼りなさそうな玄徳だが、実際若いころは、援軍等にもかけつけ、殆ど勝利してたという。関・張には勝らないにしても、そこそこの武力は必ずある。
知謀:62(なくもない。自分が生き残る為の知謀ならとことん使いそうである。
知力:46(怒りにまかせて、関羽の弔い合戦したところが大きく作用しよう。しかも、陸遜に負ける始末である。
統率:83(自分から兵を率いることだけあって、統率はなかなかあると思う。
魅力:93(演義では人望高く書かれてるが、実際はどうか?しかし、様々な逸話も津々浦々とあるように、魅力はやはりかなりあるように思われる。
「特徴」蜀の初代皇帝。孔明を得て、流浪の身から一気に飛躍に天下に名乗りをあげる
「備考」忠義の人のようなイメージがつきまとう玄徳だが、実はかなりの裏切り者。

[67] 偽ターザン 2003/06/11 16:05

書式は老人氏のものを参照
基準も自分なりにそれに合わせた
智謀と知力が似通っていたので、智謀を質的に異なる【政治】に変更した
アレクサンドロス大王 マケドニアの王
【武力】96
【知力】93
【政治】88
【魅力】95
【統率】97
武力96
フィリッポスが半ば確立していた感のある戦闘教義ではあるが
変幻自在の戦術を駆使し、これ一つで数多くの勝利を得た
特にゴウガメラにて
ダレイオス世率いる大軍をそれよりずっと少ない手勢で打ち破った
はるばるインドまで遠征し、各地で敵を打ち破る(無敗ではない)
また、海上戦略における、アレクサンドロスの原則は有名
個人的な武力は加味していないが、相当なものだったという
暴れ馬ブケファラスを乗りこなした逸話が有名
知力93
アリストテレスが舌を巻くほどの頭脳を持っていたという
しかし、優秀な知力もエゴイスティックな性格に依存しており
判断を誤ることもしばしばあった
また、未来のマケドニアについては彼の価値観の外にあったようである
政治88
人類史上で世界帝国を築いたのは彼が初めてのことである
当然模範となる例は無く、かなり苦労した
しかし、ペルシャ人とギリシャ人の間の融和を図ったり
大義名分を上手くコントロールした
しかし、自分がいかにマケドニア人に愛されてるか気付かず
ペルシャ人の重用で古参の将たちに嫉妬の感情を与え
確執を深めたりもした
後継者を指名せず逝去したのはマイナス

[68] 偽ターザン 2003/06/11 16:05

魅力95
カリスマ的な収斂力を発揮した
彼の演説は兵に熱狂的に歓迎された
兵とともに戦い、彼らに「我らの王」と強い印象を与えている
彼と兵たちとの間には言葉を超えた絆があったという
アレクサンドロスはマケドニアの王というよりも
アレクサンドロス軍の王であったと思われる
しかし、彼の魅力も異民族には通じなかった
なぜなら彼は異民族を殺しすぎ
彼らから奪いすぎた(ペルシャには蛮族に対して程ではない)
統率97
長い遠征の中、何度か兵が足を止めたことがあったが
ヒュファシス河での反転以外では兵は彼にしたがった
ヒュファシス河の場合でも兵の肉体的限界が多くを占めた
彼の死とともに帝国は分裂してしまう
帝国は余りに巨大すぎてアレクサンドロスなくしては成り立たなかった
【備考】
ヘレニズム文化が興ったのは彼の業績ではあるが
アレクサンドロス自身が意図したものではなく
結果としてそうなったに過ぎない
彼がギリシャとオリエントの文化的融合を図っていたというのは
彼を美化しすぎた評価である
アレクサンドロスの取った行動は父と異なり
マケドニアのためではなく、自らのエゴのためであった
そしてそのエゴが人類初の世界帝国を築き上げた

[69] THE60 2003/06/11 22:21

数字評価必須であることに気付いていなかった。
インフレさせない能力値の選定は難しいが、一応辛口のつもり。
(注)武力は個人の戦闘力に限定。知力は知識と応用力を考慮。
   また、統率に戦術指揮能力を含めて評価した。でないと彼らを評価しにくい。

ハンニバル・バルカ (B.C.247〜B.C.183)

武力 60 個人的武勇の程は知識に無い。ただ体は頑健であった模様。
智謀 85 ローマ侵攻当初は圧巻。しかし戦役後、讒言で逃走せざるを得なくなり減点。
知力 92 アレクサンダー大王から継承した古代の戦術の完成者としての評価を含む。
魅力 80 傭兵の軍勢であるにも関わらず反乱の類が見られない。
統率 99 古代地中海世界最高峰の名将。元祖アルプス越え。
[特徴] カルタゴの名将。第二次ポエニ戦役は当時のローマ人にハンニバル戦争と呼ばれた。
[備考] 最期は亡命先で自殺。29歳から44歳まで敵地ローマに居座った。

ついでにこの人物。
プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ) (B.C.236〜B.C.183)

武力 40 個人的武勇の程は知識に無い。だが病弱であったようだ。
智謀 75 頭は良いが、権謀術数からは遠い。大カトーの口撃に嫌気が差してあっさり隠棲。
知力 90 ギリシア好みで教養はあった。ハンニバルが改良した戦術を活用し、彼を破る。
魅力 95 外見も良く、弁舌にも優れた。ローマ市民の人気は格別で、故に歴史の表舞台に。  
統率 92 カンネの敗残兵をまとめあげる。ザマでハンニバルに勝利。
[特徴] ローマの将軍。最終的に第二次ポエニ戦役をローマの勝利に導いた。    
[備考] 最期は隠棲して病死。ハンニバルと戦うためだけに生まれたかのような男。

[共通点] 守旧派の反発を受け、良い最期は迎えられなかった。

ハンニバルは統率の人、大スキピオは魅力の人という印象が強く、評価にも反映した。

[70] 偽ターザン 2003/06/12 12:18

オレなりのハンニバル評価
ハンニバル・バルカ
【武力】97
【知力】78
【政治】69
【魅力】86
【統率】98
説明はさんざん出てるからいいよね
政治の数値は、政治家として優れていたけど政争に負けたから
THE60>ハンニバルは統率の人
まったく同意
武力は98にしようと思ったけど
もっとすごいのが出てきたとき困るから下げた
オレの中ではアレクサンドロスより上なんだけど
アレクサンドロスの方が上かなぁ?
統率は間違いなく上だと思うんだけど

[71] 諸葛亮仲達 2003/06/12 22:46

項籍(項羽)
武力:100(間違いなく最強。中国史上項羽が一番強いと思う。
3万で56万を破ったり、ガイ下の戦いで数10騎で突撃して漢の高級将校1人討ち取り100人近く斬ったって
・・・化け物だな。本当なら100以上つけたい。
知謀:88(戦術的な面では天才的な面があった。戦場では軍師もあまりいらなかった。
知力:37(陳平の「反間の計」を見破れず、范増を追いこんだりした。とても知力があるとはおもえん
統率:79(戦場での統率力はあったが、いつもはあまりなかった
魅力:82(優しい人格で部下から慕われていた。 
彼が裏切られたのは、魅力の欠如ではなく、統率の欠如。
残酷だった点を差し引いてもこれくらいはあると思われる。)
「特徴」劉邦と覇権を争うも、虚しく敗れる。希代の英雄

[72] THE60 2003/06/14 00:03

>>70
どちらの「武力」が上か。
個人的に、古代から中世末までの西洋において「満点」をつけてよい人物がいるとしたら、
それはアレクサンドロス大王を於いて他にはいないのではないかと思う。
言い換えれば、絶対的な基準になり得る稀有な人物であるように思えるということである。
会戦での強さのみでなく、攻城戦でも評価できる勝利を収めている。
突撃時に自身先頭に立ったという話も無視できない。
なにより、あの実績、あの当代限りの大帝国に圧倒される。
私はハンニバル<アレクサンドロスであると思う。

「統率」についてならば、アレクサンドロスには若干問題があるような気がする。
暗殺未遂事件や部下の斬殺事件は、オリエント風君主として考えれば大した問題でない。
しかし、部下の不満を抑えられなかったという意味で、遠征の中止はマイナス。
彼が進軍を望んだのにそれが出来なかったならば、統率力の問題に属すると考える。
(ハンニバルとの比較の為でもあり、マイナスといっても95は堅い)
ちなみに、仮に遠征を続行したとして、それが失策であったとしたら、
それは大王の別の能力の問題になるはずである。
私はハンニバル>アレクサンドロスであると思う。

ポエニ戦役がらみでもう一人。
(注)この時代の人物について個人的武勇の程を云々するのは余りに無意味だった。
   なので、武力は戦時指揮能力、戦闘実績などを総合的に評価。
   ということで武力を修正、ハンニバルは96、大スキピオは95で。
   両者とも強くなりすぎる嫌いが有るが、政治関係のパラメータがあれば60前後か。
プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ) (B.C.185〜B.C.129)

武力 85 マケドニア戦に勝利、またカルタゴとヌマンティアを陥落させた。  
智謀 65 カルタゴ攻略を見るに、平均以上。
知力 84 ギリシア好きで教養は抜群。ギリシア文化愛好家達の「スキピオ・サークル」の中心。
魅力 72 上記の「スキピオ・サークル」を形成していた。
統率 75 特にエピソードは無いようだが、戦歴からして優秀と想像できる。
[特徴] 大スキピオの子の養子。第三次ポエニ戦役で、カルタゴ包囲を指揮。
[備考] カルタゴ滅亡時にローマの将来をも憂えたとされる。盛者必衰の理を知っていたか。

カルタゴ滅亡時の言葉を信じると、なんとも素晴らしい人物に思える。
しかし、グラックス兄弟の改革に反対するあたり、案外視野は狭かったのか。

[73] 偽ターザン 2003/06/14 00:10

たしかに、アレクサンドロスは攻城戦でも成果を収めてますね
それと、あの巨大帝国はアレクサンドロス軍の勝利が支えていた気がしてなりません
ハンニバルは会戦に関しては無敵に近いですけんけどねぇ

アレクサンドロスが長生きしていたら
ハンニバルがカルタゴ本国からの全面支援があったら
そう考えるとスゴイことになりそうですね

[74] 馬鉄 2003/06/15 23:41

関羽
武力92
智謀76
魅力93
統率90
[特徴]青龍円月刀(漢字これで、よっかたけ?)を操る人物劉備の義弟長いヒゲ
[備考]魅力の部分は、前、曹操にとらわれて家臣になった時、曹操はものすごい
魅力を感じていたそうです。

[75] 諸葛亮仲達 2003/06/15 23:48

74>青龍偃月刀ですよ。ちなみにこの評価は正史?演義?

[76] 諸葛亮仲達 2003/06/15 23:50

つーか、正史だったら、本当に関羽とか評価しにくい。
記述が少な過ぎだしな。
諸葛亮や曹操ならまだしも。

[77] 偽ターザン 2003/06/15 23:59

青龍偃月刀は三国志の時代には無かったみたいですね

[78] 偽ターザン 2003/06/16 00:00

俺も三国志評価してみようかな

[79] 諸葛亮仲達 2003/06/16 00:13

そうそう、あと方天戟とかもなかった。
ちょっと残念。

[80] イカ 2003/06/16 06:58

今までのシステムを変えようと思います。
全能力の限度値を1000にしようと思いますがどう思いますか?

[81] 諸葛亮仲達 2003/06/16 13:15

80>別にいいけど、めんどくさい。わざわざそこまで密に測定する必要は全くない

[82] イカ 2003/06/16 20:20

>>81以外の意見はありませんか?

[83] 偽ターザン 2003/06/16 23:19

1000ですか
俺は別にかまいませんが
そうしたい人はそうするでもいいんじゃないのかな
みんな自分の中の基準で数値化してるでしょうし
他の人の評価と比較してやってる人はいないと思います
少なくとも俺はそうです
どうせ変えるなら能力のカテゴリーを変えることの方が先決な気がします

[84] イカ 2003/06/17 07:08

では1000にしようと思います!!

[85] Barurogu 2003/06/17 07:14

今までのを10倍にするだけダロ。

[86] イカ 2003/06/17 16:51

>>85 悪いのカヨ!!

[87] 諸葛亮仲達 2003/06/17 22:04

86>悪かないけど、無意味だと思うよ。
   それよりも項目を増やしたい。
   三国志ゲームを意識してるわけじゃないけど「政治」とか

[88] 偽ターザン 2003/06/17 22:31

項目について検討します?
とりあえず武力を戦術的な能力とするか
別に例えば用兵みたいのをいれてそれを戦闘力としたい
とにかく個人的な武力と戦闘力を別にしたいなぁ
あと謀略を消して政治

[89] 項羽 2003/06/18 15:16

なんとなく「野望」も入れたいけど無駄でしょうか。

[90] イカ 2003/06/18 15:35

戦術的な武力
用兵
個人的武力
智謀→政治
野望
これが挙がっています。
削除依頼などがない限り能力はそのままでやっていきます。
今のところ
戦術的武力
個人的武力】用兵
智謀→政治
統率
知力
魅力
[特徴]
[備考]
位です。
改造して欲しい部分はコピペしてそこを改造してください。

[91] 偽ターザン 2003/06/18 18:31

みなさんはやっぱり個人的な武力を入れたいのかな?
俺はなくても構わないと思うんだよね
ゲーム化してる人物ならその数字も出てくるだろうけど
そうじゃない人間はかなり評価に苦しむと思う
でもとりあえず俺的候補
武力(個人的な武力、任意)
用兵(戦術能力とか、戦闘の強さ)
知力(頭の良さ、戦略、問題解決能力、判断力)
政治(政策立案能力、外交能力、政争における能力)
魅力(まぁそのまんま、後世における人気は除きたい)
統率(統率力、将軍の場合は部下になるが、王の場合の統治力は政治?)
[特徴]
[備考]
大まかにはこんな感じ
細かく項目を増やせば人物を特徴づけられるけど
それに比例して手間と価値観の違いが浮き彫りになる
それと古代なんかの情報が少ない人物の場合もどうしようもなくなる

[92] THE60 2003/06/18 20:22

用兵、知力、政治、魅力、統率を主要項目として、
人物の特性を示すための第6番目のパラメータを用意するのはどうかな?
武力なり野望なり、その人物を特徴付けるものをその人物ごとに勝手に決めて、評価する。
あくまで、遊び心を発揮する項目。各人物の比較の役には立たない。

[93] イカ 2003/06/19 07:31

武力(個人的な武力、任意)
用兵(戦術能力とか、戦闘の強さ)
知力(頭の良さ、戦略、問題解決能力、判断力)
政治(政策立案能力、外交能力、政争における能力)
魅力(まぁそのまんま、後世における人気は除きたい)
統率(統率力、将軍の場合は部下になるが、王の場合の統治力は政治?)
野望( 野望そのもの)

[94] イカ 2003/06/19 07:32

>>92 賛成!!

[95] 諸葛亮仲達 2003/06/19 13:01

91>同意ですな。
私も武力:(個人的武力
  戦略:(頭の良さ、判断力、決断力
  戦術:(用兵の巧みさ
  政治:(外交、政略、策謀
  魅力:(兵、民からにおける人望の厚さ
  統率:(どのくらい軍律を厳しくしてるか。
  ここまでは必須として、
  できるなら、野望&義理も書きたいところ
  実際、こういうのは三国志や項羽と劉邦、戦国みたく小説や資料がないと難しいかも

[96] ロン 2003/06/22 15:39

age

[97] THE97 2003/06/22 17:51

武力って。。。武人しかだめなの?
もっと文系の項目もいれたらいいとおもう。

[98] 諸葛亮仲達 2003/06/22 17:57

97>文官でもOK。上を見ると諸葛孔明とかものってる

[99] スゴイよ!99 2003/06/24 17:42

age

[100] THE60 2003/06/25 23:29

傲慢にも自身の案の項目で評価。止まってしまったから、少しくらい良いだろう。
第二次ポエニ戦役を彩ったローマ側の二人の将軍を評価してみる。

クィントゥス・ファビウス・マクシムス(遷延家/ローマの盾) (?〜B.C.203)

第二次ポエニ戦役において持久戦術を採用したローマの将。
基本的にローマ人の間では、消極性の高い持久戦術は歓迎されなかった。
実際、ローマ軍がカンネで惨敗を喫するまでは、彼の方針に与しない人物が多く登場している。
彼は幼少期から落ち着いた性格で、慎重な行動を好み、故に持久戦術への抵抗感が小さかった。

ハンニバルに会戦を挑んでもローマ軍は悉く負けたのだから、
敵の消耗を待つ持久戦術の採用は賢明な判断といえなくもない。
しかし実際のところ、持久戦術がローマに強いた消耗は無視できないレベルである。
人的損害も凄まじいが、ハンニバルに略奪された農地の損害も甚大であった。
のちローマ帝国が小麦を輸入に頼らざるを得なくなった一因ともいわれるほど。
最終的にハンニバルをローマから追い出す事には成功しているが、
持久戦術は、直接にはハンニバルを倒せないが故の、次善の策に過ぎないと思える。
ファビウスの戦術より、ローマの国力の許容量がハンニバルを防いだと言うべきかもしれない。

[101] THE60 2003/06/25 23:30

用兵 79 ポエニ戦役以前では、リグリア地方でガリア人相手に勝利している。
     対ハンニバル戦でミヌキウスを救出していること等、無能でないことはわかる。
     しかし、超一流には及ぶべくも無い、その自覚があったと思われる。

智謀 81 独裁官時にハンニバルに出し抜かれている。
     ハンニバル軍に損害を与えるべく、伏兵を配したことがあった。
     しかしハンニバルは、牛の角に火を灯して、進軍方向を錯覚させたという。
     ローマ軍は対応できず、ファビウスは事実上独裁官を罷免されることになった。
     しかし、身の丈にあった持久戦術を採用し、それを貫徹したことは素晴らしい。

政治 68 農地の荒廃は見逃さざるを得なかったと考えてもいいのだが。
     地中海規模での思考ができたか疑わしく、小麦輸入にまで発想が至っていたか疑問。

魅力 82 カンネの敗北後に持久戦術が再評価され、以後は信望を集めた。

統率 90 カンネ後のローマ全体をまとめたことが評価できる。
     自派の人間に対しては、よく持久戦術を守らせていることも言える。

忍耐 96 敵の挑発に耐え、同僚の非難に耐え、兵士の侮辱に耐え抜く。
     いくら己の戦術に自信があったとはいえ、この忍耐力は世界史級。

[特徴] 第二次ポエニ戦役開戦後まもない頃からのローマ側の中心的人物。
[備考] 持久戦術を採った為に「ぐず」「遷延家」と訳せる『クンクタトル』と呼ばれた。
    のち、正しさが認められ、この名もただ「持久戦主義者」を意味するようになる。

[102] THE60 2003/06/25 23:31

次いである意味ワンセットのこの人。

マルクス・クラウディウス・マルケルス(ローマの剣) (?〜B.C.208)

用兵 84 第二次ポエニ戦役以前のガリア人との戦いでは類無き戦果を上げる。
     戦役中では、シラクサ攻略にて、かの大学者アルキメデスの兵器の前に多大な損害を被る。
     それでも長期の攻城戦の結果、シラクサの宗教行事で生じた隙をついて攻略に成功。
     また、ハンニバルをぴったりマークし、彼を苦しめたが、所詮会戦では勝てず。
     敗北後、上手く立て直して再戦を挑み、ハンニバルにかなりの損害を与えるが、
     彼の軍は追跡不可能なほどの損害を被る。戦死者の数では彼の軍の方が少ないのだが、
     追跡不可能に陥り、本来の目的を果たせていないので実質的敗北と言わざるを得ない。
     アルキメデスとハンニバルでは、相手が悪すぎたことは言える。

智謀 55 自ら偵察に出向き、ハンニバルの配した伏兵の襲撃に遭い戦死。
     はっきり言って、指揮官としては思慮が足りない。
     自分の立場というものをどのように考えていたのだろうか。
     シラクサ攻略等を考慮すると、そんなに低くはできないが。

政治 60 按察官になってたり、それなりに事務処理能力があったことがうかがえる。
     とはいえ、武人として戦場を駆け巡っていた期間が長い。

魅力 83 誠実と言ってよい人柄に加え、積極的な戦術に出たことで、
     市民からの人気が特に高かった。

統率 86 ハンニバルとの会戦に敗れた後、上手く軍を立て直している。
     部下の統率にはかなり長けていた。

武力 80 一騎討ちを挑まれれば必ず受けて立ち、必ず勝ったという。
     特にガリア王を一騎打ちで破ったことは、その武勇を知らしめた。
     最期は戦死ではあるが、すでに老いていたので已む無しか。

[特徴] ファビウスと並び、ローマの剣と称された猛将。最期は伏兵に遭い戦死。
[備考] 彼がポエニ戦役で為した成果は、ハンニバルに対して気概を示した事に尽きる。
    その戦果は、戦争の行方には殆ど寄与しなかったようである。

[103] 水鬼 2003/06/30 19:03

桂小五郎(木戸孝允)

武力;90
   殺生は嫌いなようですが神道無念流の一流剣客で坂本竜馬以外には全くの負け知らずだったようです。
智謀;100
   この人の策略が維新を完成させたと言っても過言では無いと思っています。
知力;100
   文武両道、顔良し、頭良しと言うぐらいですからね。
魅力;95
   この人の人柄や腕のよさ、頭の良さに引かれる人は本当に多かったようです。
統率;85
   長州藩の実質的指導者でNo.1だったぐらいですからね。でもやはり穏やかなやり口が気に食わず従わなかった人もいたようです。

特徴;顔良し、頭良しはあまりに有名。
   整った顔立ちをしていたらしい。
備考;長州藩の実質的No.1で維新三傑の一人。
   後の名を木戸孝允と言い教科書等には必ずこの名で載っている。
   神道無念流の一流の剣客。
   だが殺生を嫌い、政治的な方法で維新を完成させようとした。
   脳病にかかり、維新後に他界する。
   最期の言葉は「もう大概にせんか!西郷!」だったらしい。
   最期まで日本の行く末と平和を気にし続けた人。

[104] the104 2003/06/30 20:21

>>25 ツァオ・ツァオ好き♥

[105] ロン 2003/07/02 16:29

ここってみんなで統一したデータベースを作ろう的なスレではないんだよね?
個人で自由にどうぞってことでしょ?

[106] THE60 2003/08/06 22:59

ムスタファ・ケマル・アタチュルク(灰色の狼) (1881〜1938)

トルコ共和国初代大統領。アタチュルクは「父なるトルコ人」を意味する姓。
オスマン帝国の時代、トルコ国内では一般に姓は無かった。

1915年、第一次世界大戦におけるダーダネルス海峡防衛戦で一師団を率い、
連合軍の上陸阻止に活躍し、勇名を馳せる。
(本上陸作戦の発案・責任者は当時英国海軍大臣だったウィンストン=チャーチル)
しかし、スルタン政府の降伏により敗戦を迎え、トルコは亡国の危機に瀕する。

そこでケマルは、政府から独立してトルコ国民軍を率い、「救国戦争」を起こす。
この戦いでトルコ領内に進入していたギリシア軍を破り、その後占領軍も撤退。
戦後締結されたローザンヌ条約により、WWの講和条約セーヴル条約は失効し、
さらに、以前から存在した治外法権廃止などの不平等解消にも成功する。

政治家としてのケマルは、トルコに大きな変革をもたらす。
前述ローザンヌ条約が締結されている間に、スルタン(=皇帝)とカリフ(=教主)を
分離し、スルタンを廃止、トルコ共和国を成立させ、初代大統領に就任する。
また、少し遅れてカリフも廃止、イスラム教の非国教化に成功する。
この結果、イスラム法・宗教裁判所の廃止、教育改革など、トルコの近代化が進んだ。
近代化は、経済的な成長も促す事になっていく。

1938年、脳卒中で死去。
独裁者として民主化を推し進めた15年間の統治だった。
病に倒れる2年ほど前に、「あと十年経てば引退できるだろう」と語ったという。

[107] THE60 2003/08/06 23:00

ムスタファ・ケマル・アタチュルクの評価

用兵【90】両戦争での彼の勝利が無ければ、「トルコ」は消滅していた可能性もある。
     特に、ダーダネルス海峡では装備脆弱なトルコ軍を率い英仏軍の上陸を阻止。
     但し、亡国の危機がトルコ兵の士気を極端に高めたであろう事も考慮。
智謀【85】先見性、合理的思考、改革の過程での小細工。
     民衆煽動の才能もあった。
     
政治【98】明治維新にも比肩し得る改革の業績。
     ローマ字を基にしたトルコ文字作成、義務教育、姓の義務化、婦人参政権、
     憲法制定、共和制樹立などなど。特に、イスラム圏での政教分離は特記事項。
魅力【96】改革を進められたのは、彼自身の魅力に負う所が大きい。
     特に、宗教指導者であるカリフ廃止は、彼で無ければ成し得なかったろう。
     現在では、半ば神格化されている。
統率【95】スルタン政府に対抗する独自の勢力を組織。
     また軍の統率は抜群。自ら前線に立って指揮を執る型の指揮官。
     但し、自勢力の人間による謀反の企みが存在したので若干減点。

[備考] 「英雄色を好む」の例に漏れない人物だったりする。

[108] 武勇伝 2003/08/08 15:07

諸葛亮仲達 さんよ。
個人の戦闘力では
尉遅敬徳か楊大眼かだと思うぜ。

尉遅敬徳は素手で敵の槍を奪い逆に突き殺した。
楊大眼は当時から関羽や張飛でも及ばないだろうといわれる豪勇の士。
他に
楊忠・楊帝のおじいいさん、素手で人食い虎を殺した。しかも舌を引っこ抜いて
王彦章・60キロの鉄槍を振るう無双の豪傑
楊再興・一人で数百人の金軍を殺した槍の名手。
劉てい・72キロの大刀を自在に操り、小西行長の軍も軽く蹴散らした明の武将。

[109] 武勇伝 2003/08/08 15:11

日本で幕末最強の剣豪は

実戦では
中村
近藤

竹刀では
男谷

[110] ロン 2003/08/08 16:37

>>108
尉遅敬徳と言えば秦叔宝との一騎打ちが有名かな?(フィクションだろうけど)
楊大眼は忍者みたいなことしてたなー
奥さんは潘氏だったっけかな?
どちらも名将
王彦章は王鉄槍の綽名で有名
武力は別として、将軍としては上の二人には劣る気がする
肉飛仙こと沈光も好きだな
強さで上の三人に勝てるわけはないけど
楊再興、劉てい、楊忠は初耳
できれば何の本に載ってたか教えてもらえませんか?
読んでみたいんで

[111] 武勇伝 2003/08/09 18:27

えーと、基本的に明史やなどの正史みればかいてあるんだけれども
中国語なんですよね。これが。
楊再興
世界史にも出てくる岳飛の部下がこの人。岳飛の弟を一騎打ちで殺している。
小商河という干上がったように見えたぬかるみにはさまれたところ
金軍に射殺された。それまでに何百人も金兵殺してるんだが。

劉ていは演技の関羽の青龍刀よりも重い百二十斤の大刀の名人である。
明の中期では最強の武将。ちなみにこの親父の劉顕も同じくらい強い。

楊忠は煬帝のおじいいさん。主君の宇文泰と虎狩りやってて、虎が主君に
飛び掛って殺そうとした。急だから楊忠は武器を取れず、左手で虎を抱きかかえ
右手で虎の舌を引っ張って死に至らしめた。

ここのサイトは親切かな
http://www2.justnet.ne.jp/~kays/chu-saikyo.htm
下の掲示板の「うにゃんこ」という書き込みはわしっす。
http://bbs.nazca.co.jp/cgi-bin/bbs-c/bbs.cgi?id=rt30
後は中国語のフォントをDLして、それ相応を見れば正史がでてきます。
冠勇三軍、真萬人敵 勇力人絶、手格猛獣、旅力人過などの表記がある人は
強い人でしょう。勇力人絶は許チョ、旅力人過は天イ、冠勇三軍は黄忠、
萬人敵は関羽、張飛から始まり、真萬人敵は韓世忠がいわれている。

[112] 猫オタク学士 2003/08/09 19:42

鄭和
用兵92   智謀90   政治89  魅力96   統率93
明の永楽帝腹心の宦官。 もとは、元朝に仕えた色目人(ペルシャ/トルコ系異民族)
官僚の息子だったが、明軍の捕虜となり、奴隷として宮刑に処せられた。
その後、永楽帝にその才覚を認められ、七度にわたる南海遠征の指揮官として活躍する。
その間、南海の海賊に襲われたり、セイロンの王位継承に巻き込まれたりといろいろあったが、
そのつど、危機を切り抜けた。
卒論で、彼のことを書いたもので、ちょっとひいき目になってます。

[113] 夜魁 2003/08/10 00:14

えっと,劉邦は出たのかな?

彼だと・・・

武力;40
智謀;20(笑)
知力;20(爆)
魅力;80後半
統率力;90台

ってとこじゃないかなって,考えてはいる。

[114] 夜魁 2003/08/10 00:25

秦尉対戦かあ・・・・懐かしいなあ・・・
あ,これは流して結構です(笑)

[115] 猫オタク学士 2003/08/10 02:35

>>113
劉邦の能力、ちょっと低すぎるような・・・
武力、智謀、知力は最低でも50台はあると思う。
これじゃあ、秦の2世皇帝、胡亥にも負けるな。
あと、魅力は90後半はないと・・・

ところで、中国の歴代の皇帝中、最も出自が卑かったのは、
劉邦と、明の太祖・朱元璋といわれているが、
彼の能力はこんな感じでどうだろうか?

用兵92   智謀93   政治78  魅力76   統率97
魅力が若干低いのは、容姿が醜かったのと性格が暗そうだから。(笑)
政治が低いのは明朝樹立後に部下を粛清しまくり、それが燕王・朱棣(後の永楽帝)
がクーデターを成功させてしまう原因になってしまったから。
それ以外の能力は総じて高いように思える。何しろ、天下分け目のはよう湖(←字忘れた)
の戦いにおける戦術は三国志演義の「赤壁の戦い」にも引用されてるくらいだし。

[116] 夜魁 2003/08/10 03:25

一応、突厥はいったしねえ・…50か。

でもね、帳良が100を超えていた気がするのよ、劉邦の陣営の中では。
恐らく最強だろう、軍師の中でも。

[117] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2003/09/16 23:06

■桓温■(312〜373)字は元子
【統率】79(退却時に被害が多い・・・)
【武力】81 (豪壮だった)
【知力】70(英才だった。『易経』の講義を始めるとたくさんの人が集まったそうな)
【政治】72(殷浩失脚後は桓温の独断場。でも謝安にしてやられた)
【魅力】76(容貌は優れてた)
【特技】速攻、突撃
東晋の軍閥。明帝の娘を娶り、西府の実権を握った。
346年、成漢を滅ぼして蜀の地を手に入れ、たアホの殷浩を失脚させ、東晋の権力を握った
北伐を開始し354年、長安に出兵し(王猛に面会したのはこの時)苻堅をボコボコにする
が糧食が続かず退却(最初から攻め取るつもりないでしょ?と王猛にツッコまれてる)
355年、洛陽を奪回し、朝廷に健康からの遷都を迫ったが実現しなかった
369年、前燕に奪われたを洛陽に出陣するが、枋頭において慕容垂に大敗
その後は簒奪を目指すが(謝安に牽制された)実現する前に病没
「男として美名を百世に残せないのなら、醜名を万年に残してやるぜ!」とうそぶいた
「庚戌の土断」は抵抗勢力によって成果はイマイチだったが
後に劉裕の「土断法」として受け継がれ実施される



[118] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2003/09/16 23:07

■謝安■(320〜385)字は安石
【統率】75
【武力】38
【知力】84
【政治】90
【魅力】82
【特技】沈着 囲碁
列伝;江南の名族の出身で、若い頃は王羲之らと交際し、清談にふけった
前秦の苻堅が百万を号する大軍を率いて南下すると、
大都督に任ぜられ、弟の謝石や甥の謝玄らを遣わして淝水でこれを撃破させた
勝利の報が届いたときは客と碁を打っていたが
「小僧たちが賊軍を打ち破ったよ」と平静に答えて、碁を打ち続けた
客が帰った後、踊り上がって喜び、下駄の紐がちぎれてズっこけた
。その伝聞を耳にした遠き倭国の吉本新喜劇より
スカウトの使者が訪れたという記録は・・・今とところ発見されていない・・・・(^^;)


[119] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2003/09/16 23:10

▲冉閔(←李閔←石閔。棘奴)▲(?〜352)/(在位350〜352)字は永會。魏の武悼天王
【統率】44(大虐殺で胡族離叛。東晋に帰順、前燕に降伏する者が続出でジリ貧に)
【武力】94(両手で刃と矛を振り回し、寡兵で何度も大軍を撃破)
【知力】33(大穴狙いの博打屋(w)
【政治】34(東晋とも正統性問題で揉め、頼みの漢人の支持もイマイチ・・・)
【魅力】40(石虎の38人の孫を皆殺し。胡羯20万人を虐殺!)
【特技】突撃 無双
【アイテム】朱龍 両刃矛 鉤戟
漢人。魏郡内黄の人。父の冉瞻が石虎の養子とされた関係から石虎の養孫に。
石虎のもとで優遇され、石虎が没すると頭角をあらわし、
五代皇帝の石遵を殺し、石鑒を六代皇帝として立て、大将軍として実権を握った。
350年、石鑒をも殺して自立。国号を衛とし、さらに帝位について、国号を魏とした。
前燕の慕容恪の軍と寡兵で十回戦い、全て破ったが
慕容恪の連環包囲作戦に破れて捕らわれ、慕容儁と罵り合戦を経て
鞭打ち300回打たれた後殺害された。
この年旱魃と蝗の大発生が起き、慕容儁は冉閔の祟りと思って祀ったが、
其の日大雪になったという・・・

[120] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2003/09/16 23:12

◆劉詢(宣帝)◆(前91〜前49/在位前74〜前49)
【統率】88(この人の時代が漢の最盛期だという人も)
【武力】64(庶民の頃は遊侠と交友したので)
【知力】86(霍光の前では羊を被り、後に霍氏一族をジワジワと追いつめて滅ぼす)
【政治】93(低利公的ローン、常平倉設置などの政策で救貧・勧農につとめた)
【魅力】87(晩年は『皇帝病』にとり憑かれ始めたが,運よく(?)早世)
【特技】埋伏、伏兵、神算、鬼謀、倹約
列伝;珍しい庶民出身の第9代皇帝
もとの名を病已。字は次卿。武帝の曾孫、劉拠の孫。
巫蠱の乱の際は丙吉のはからいで、密かに民間で隠れて育てられた
前74年、昭帝の跡の跡を継いで十八歳で即位
当初は霍光のロボット役に甘んじてたが、霍光没後は親政をはじめ、
報告機間をスリム化にし、西域都護を置く
彼の治世の間は連年豊作が続き
しかも長城以北は大寒波のおかげで匈奴が勝手に分裂、自滅してくれて
呼韓邪単于が投降&入朝するなど運(もしくは人徳?)にも恵まれてました
亡き許皇后(庶民時代からの連れ添い。霍皇后に毒殺された)への想いから
劉セキ(優柔不断)を次期皇帝(元帝)に選んだのは、唯一の大きな失策(失政?)

[121] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2003/09/16 23:14

■宗沢■(1059〜1128) 通称・汝霖
【統率】92(義勇軍180万人!を組織、運営。宗翰&宗弼の軍勢を撃退)
【武力】73(文官出身なのに自ら陣頭で指揮にあたる)
【知力】66(進士の合格者)
【政治】51(開封の治安を安定させた。政治的なやり取りは全然苦手)
【魅力】76(人徳が無いと何十万人も集まらないし)
【特技】鼓舞 収拾 無双
開封留守に任ぜられて、金に抗戦した名将
高宗の開封帰還を望んだが、容れられず
さらに黄河を超えて進撃することを求めたが、勅許が得られず
「黄河を渡るのだー!」と絶叫して死んだ

[122] the122 2003/09/17 01:22

【この俺様】

武力 12.6
智謀 3.2
知力 1.3
魅力 0.01
統率 0.4

[123] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2003/10/05 09:19

◆大祚栄(大祖榮)◆(?〜719)/(在位698〜719 )渤海国初代高王
【統率】83
【武力】67
【知力】70
【政治】72
【魅力】76
【特技】登用 外交 埋伏 扇動 伏兵 急襲 鼓舞
ちなみに「大」が姓で「祚栄」が名。「大」姓は彼の創始だそうな。
唐に敗れた靺鞨人と高句麗人を糾合し、追撃軍を返り討ちにする。
(っていうか山奥深くまで逃げ込んだため、追討軍も諦めてUターン)
国家を建設し、「震国王」を名乗る。
713年、唐王朝より「勃海郡王」に任命され、海東の盛国・渤海国の歴史が始まる。
高句麗の領土を殆ど回復し国号を渤海と改称した.

[124] 瑠亜 2003/10/05 10:27

中国以外の人物でもいいんですよね?

サッラーフ・アッディーン(サラディン) 1138〜1193

統率:65(指導者という面では、僅かに劣ります。 しばしば反乱を起こされてます。)
武力:84(不敗とか恐れれられてる割には、一流どころ(リチャードなど)
     が相手になると、なかなか勝てません。)
知力:96(未来をイメージする能力に優れ、確かな戦略眼と先見の明を兼ね、持続
     する強い意志を持っていました。)
政治:70(色々な改革を行ったものの、バイバルスと違い死後に強固な国家組織
     を残せなかった為、若干低め。)
魅力:98(個人的には彼を魅力100にしたいんですが、神格化カリスマ
     (イエス、ガウタマ、ムハンマドなど)や、カエサルのように魅力的な人物は他にも
     多く存在してるので、100はやめときます。)
     
十字軍戦役におけるイスラム側の最大の英雄にして、アイユーブ朝の創始者。
1164年からのエジプト戦役でシリア軍を率いて十字軍諸侯に対する勝利に貢献、
エジプトのファーティマ朝に対し政権統制を行った。
1174年、シリア方面に勢力を拡大して単独で十字軍に対抗しうる勢力に成長した。
1187年、十字軍側の休戦協定違反を契機にエルサレム王国を攻撃、
ヒッティーンの戦でエルサレム王を捕虜にする大勝利を収めシリアの諸都市を攻略、
同年10月、遂に90年ぶりにエルサレムを奪回した。
エルサレムのキリスト教徒に対する寛大な助命など、人間的魅力溢れた記述がたくさん。
その後、リチャード1世との戦いにはしばしば敗戦してものの、エルサレムへの接近を阻止した。
彼の寛大さによって、その後しばしば苦戦したが、彼の人間的魅力は敵味方を問わず愛され、
十字軍の時代はもちろん現在にいたるまで英雄としての評価を勝ち得ている。

[125] 瑠亜 2003/10/05 10:56

劉邦 前256(前247)〜前195

統率:87(指導者として有能で、漢帝国という巨大な国を残しています。)
武力:45(戦争は素人レベル。 殆ど勝ったためしがありません。)
知力:78(彼の才能は、「人の意見をしっかり聞く」ところ、その才能が無く
     滅びていった人物は数多くいます。 その中で、張良という優秀な軍師の意見を
     よく聞き、見事に項羽を破りました。 20台とかは有り得ません。)
政治:70(漢の事実上の創始者は簫何です。 彼の儒者嫌いって言うほどだから、
     政治力はそんなに・・・ と思いきや、粛正の手並みは中々。)
魅力:90(利で人を釣る人物ながら、配下から見れば魅力的な人物だったんでしょう。
     ただ、統一後は謀反や離反を起こされたり、暗殺させられかけたり
     しているので、これくらいでしょう。)

前漢朝の初代皇帝。漢の高祖。沛県豊邑の人。
若いころから任侠の徒と交わり,やがて泗水の亭長となる。陳勝呉公の乱に応じて蕭何らと挙兵。
その後関中を落とし、「殺人を犯した者は死刑。人を傷つけたり,人のものを盗めば罰する」
という法三章を発布し人心を安定させる。 しかし、そのことで項羽の恨みを買い
鴻門の会で殺されかけ、漢中の辺境に押し込められた。
しかし脱出し、項羽の義帝暗殺を大義名分とし、項羽と戦った。
個々の戦いではしばしば破れたものの、統率力の低い項羽からの離反者を受け入れ、
負けても戦略的優位な状態になっていく。 韓信、蕭何、張良などの賢臣を使いこなし、
約3年にわたる戦いを通じて勢力を挽回。
前202年、垓下の戦いで項羽を破り中国統一を成し遂げ、漢を建国した。
その後、匈奴の冒頓単于に大敗し、匈奴を兄、漢を弟とする屈辱的な盟約を結ぶ。
さらに、天下統一のため活躍した多くの人物を粛正するなどして、びびって反乱を起こした
燕王英布との戦いで受けた傷が元で死亡。

戦争下手で、傲慢な振る舞いが多いため、後々「無能」とか、「配下のおかげ」とか
よく言われますが、私は彼自身にも能力は備わっていたと思います。
韓信、張良らも「天から授かった能力」と、彼を称しています。

[126] 瑠亜 2003/10/05 11:26

劉邦を出したんだから、ついでに彼も

項籍(字は羽) 前232〜前202

統率:30(あまりにも指導力が低すぎる。 自分が一番な人物で、部下を上手く活用
     出来ず、優秀な人物をどんどん劉邦の元に送ってしまった。)
武力:97(寡兵でしばしば大軍を破った。 用兵力と戦闘力は超越し、自身の
     個人的武勇も最強クラス。)
知力:25(文句無しのアホ。 配下の有益な進言をしばしば無視し、手前の利益を追った。
     戦争面での戦略眼は意外と優れているものの、大局を見据えた戦略眼はあまりにも
     無さすぎた。 劉邦に敗れるのも当然だと思います。)
政治:15(教養はまあまああったみたいだけど、政治感覚が皆無。)
魅力:80(無茶苦茶しまくった割には、部下愛する優しい一面もあったみたいです。
     カリスマが高く、配下には骨のある人物が数多く集まりました。
     史記を書いた司馬遷までもが、項羽が大好きで、
     今でも劉邦ファンより、項羽ファンの方が多いとか。)

列伝は割愛します。
一つ、私的評価を。
私の数値化を見て、殆どの人は「低すぎる!」「項羽アンチ!」とか思われると思います。
しかし、史記を読む限り、本当に項羽は有益な進言を聞かず、勝っても勝っても、
どんどん追い込まれていくんですよ。
項羽には、戦争で勝つ能力には有り余っていましたが、
頭の中で、大局を見据えた上での地図を作る能力には致命的というほど欠けていました。
一方の劉邦は、戦争には弱いものの、指導力が高く、戦略眼もまあまあありました。
だから、劉邦が項羽に勝ったのは「奇跡」でも、「運」でもなく、当然のことであったと思います。
ただ、私も彼の壮絶な生き方には感銘を受けます。 
だから、劉邦よりも項羽の方が人気があるのには何の疑問も持ちません。
だって配下の進言を聞きまくる項羽も、嫌ですからね(笑)

[127] 2003/10/06 23:25

戦国時代シリーズ
武田信玄
統率90
武力83
知力72
政治98
魅力93

甲斐の虎の異名を持つ。

政治家としては一流だと思う。

[128] 2003/10/06 23:29

↑智謀付け忘れた。
智謀88

[129] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2003/10/13 02:37

■藤原仲麻呂(恵美押勝)■(706〜764)
統率 62(何度もクーデター未遂を起こされてるし、反発買いまくり。自信過剰)
武力 57(叛乱時の計画性の穴だらけの性急を見ると、軍事の才には疑問がある)
知力 72(幼少より頭脳明晰で特に算術に長けていた)
政治 67(『墾田永年私財法』にも関わったとされる。中国かぶれ。官名を全て唐風に変えようとした)
魅力 58(孝謙天皇に愛されて姓名まで賜る貰ったのに・・・女心ってコワヒ)
特技:神算 占朴 建築
奈良時代を代表するフィクサー。 藤原不比等の孫にあたる。
政敵の橘諸兄を追いやり権勢を振るったが
孝謙天皇が怪僧・道鏡を寵愛するようになると次第に疎んじられ
クーデターをを企むが発覚して破れて斬られた
安禄山の乱のドサクサに紛れて、新羅討伐を企んだ!・・・が賛同を得られず白紙撤回 
来日した鑑真の接待役も勤めている

■菅原道真■(845〜903)天神&怨霊
【統率】28(あるの?)
【武力】61(意外ながら?武芸に秀で、弓道の腕前は百発百中だったそうな・・)
【知力】88(出来杉君・・・)
【政治】94(学者だけど右大臣に抜擢された。「白紙(894)に戻せ遣唐使」)
【魅力】86(どうぞ合格しますますように(´<_` ;))
【特技】外交 神算 天文 聖痕 召喚 祈願

[130] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2003/10/13 02:43

▲石原慎太郎▲(1932〜)
【統率】65(首相はともかく首長クラスなら充分勤まってま)
【武力】78(都知事のくせに国政にイチャモン付けまくり)
【知力】72(失言、意図的な匂い・・)
【政治】71(一橋ブレーンもいるし)
【魅力】76(新党は?)
【特技】カジノ 弟
「中国はあと10年で分裂するだろう」などと産経新聞等で
平気で発言する青嵐会の後継者


◆小泉純一郎◆(1942〜)字はライオンハート
【統率】62(YKKの両翼をもがれながらも、カリスマ(?)を最大限に利用して政権維持)
【武力】71(攻撃的なタイプ。靖国参拝で東アジアがヒスの嵐に!)
【知力】83(巧みなハッタリとアピール。)
【政治】69(で、経済対策は?)
【魅力】75(みんな騙された)
【特技】挑発 登用 外交 急襲 鼓舞 幻術  
アメリカのパシリとはいえ、虎の威を最大限に利用?

■安倍晋三■(1954〜)次の首相のイスはほぼ確実
【統率】55(まだ官房副長官クラスなので、って言ってる内に幹事長!)
【武力】75(菅への「まぬけ」発言で大幅Up!)
【知力】71(帝王学を学んできたんだろうなあ。)
【政治】77(実務を堅実にこなすタイプ)
【魅力】80(超サラブレッド)
【特技】これから増えていくと思う・・・
それにしてもメロンパパにクリソツ

[131] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2003/10/13 02:47

▲鳩山由紀夫▲(1947〜)字は宇宙人
【統率】36(旧民社の言いなり、旧社会も切れない。実弟にまで見切りをつけられ)
【武力】34(なんであんなに頼りなさげなの?)
【知力】55(
【政治】52(結局民主党は自民党の2次団体?)
【魅力】48(なんでそんなに挙動不審?)
【特技】友愛(w
旧民社の言いなり、旧社会も切れない、安易に創価とつるむわ実弟にまで見切りをつけられるわ
金正日の祝賀宴にも野中や土井と共に参加
このオープニングは・・・ttp://www.hatoyama.gr.jp/ (w

▲菅直人▲(1946〜)字はイラカン
【統率】57(左派を利用しすぎ)
【武力】72(厳しい質問攻めには定評があった)
【知力】77(ミドリ十字事件の官僚操作はピカイチ)
【政治】60(マニュフェスト!?)
【魅力】71(さきがけの頃はカッコ良かったのに・・・)
【特技】乱射 扇動 挑発 連環

●土井たか子●(1928〜)北朝鮮労働党の日本支部長
【統率】42
【武力】45
【知力】67
【政治】32
【魅力】57(おたかブームで+30)
【特技】:埋伏 諜報 偵察 虚報
有本恵子と石岡亨氏はコイツのチクリで処刑された可能性が極めて大!

[132] 重金属 2003/10/23 11:12

>>129>>131
面白いな。

[133] 重金属 2003/10/23 11:16

続きを期待したいな。

[134] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2003/10/23 21:41

■野中広務■(1925〜)自民党のキングメーカー
【統率】72
【武力】81
【知力】69
【政治】43
【魅力】48
【特技】諜報 寝返 反間 連環 勅令 罵声 収拾 沈着
あらゆるダーティーな噂のあるサヨモドキの利権の怪物。
しかし今回の総裁選に背水の陣で立ち向かうも敗北。
フィクサーの地位を追われ引退。

■鈴木宗男■(1948〜)
【統率】44
【武力】84
【知力】64
【政治】29
【魅力】13
【特技】強行 突撃 挑発 暗殺 恫喝 千春 売国
倭国の国益を諸外国に切り売りし、そのおコボれを利権としてムネムネ会資金に充当
2000年の北朝鮮への米支援もコイツが無理矢理可決させた。
今回の選挙では松山千春と新党を組んで挑むつもりであった様だが胃癌を理由に出馬を断念。
いずれにしろ政治生命は終わったようなもん。

■河野洋平■(1937〜)
【統率】24
【武力】19(KK戦争で敗北、総裁選では不戦敗のヘタレ)
【知力】32
【政治】31(スケープゴートの新自由クラブ)
【魅力】43(親父は大人物だけど・・・)
【特技】逃亡 埋伏 大仏 謝罪 売国 
コイツも「自らの責任」でコメ支援を強く推奨。50万トン(1200億円)をドブに捨てた犯罪人
おかげさまで北朝鮮は行方不明者捜索を打切り、
工作船がさらに日本海に出没する羽目に(wえない・・・

李登輝の訪日ビザ申請の時もにも猛反発した

[135] ZIRIA 2003/10/23 23:11

マイナーでも偉大な歴史人物

バシレイオス2世 11世紀 東ローマ帝国

統率:76(東ローマ皇帝は絶対君主ですし、統率はこのくらい)
武力:81(8世紀以降ローマ皇帝は基本的に武人です。中国の皇帝とは
     訳が違うぞ〜。いちおう8世紀以降の東ローマ帝国の最大版図)
知力:83(若いうちから皇帝となり外交と戦争の両略ではんとを広げました)
政治:93(「最大版図」は無理におこなうと、ツケが来ます。国庫を富ませ、
     かつ領土を広げたことが彼の能力の高さでしょう)
魅力:78(東ローマ皇帝だ!という権威を除けば、まあこのレベルでしょうか?)

特技:蓄財しながら戦争すること
苦手:後継者を作ること
   (彼の作った国庫の蓄えは次の1代で無くなり、ローマ帝国は崩壊して
    いきます。かわいそ〜)

[136] 瑠亜 2003/10/31 02:19

ガイウス・オクタヴィウス 前63〜14 ローマ帝国初代皇帝

統率:98(僅か18歳ながら、カエサル暗殺によって同様していた遺臣達の心をまとめ、ローマ市民の支持を得る。
      ローマ帝国の基礎を固めた、事実上の建国者でもあり、戦争は素人ながら、偉大な最高司令官であった。)
武力:23(病弱の上、戦争の才はないと、カエサルに太鼓判を押されている。
      実際戦争は部下のアグリッパ任せで、自分が戦った戦争は全敗という記録を持つ、ある意味凄い人。)
知力:90(カエサルの轍をふまないように、皇帝位を設置せず、元老院などの共和政的な機関を存続させた。
      また、人を見る才能と使う才能に優れ、自身は知性豊かな人物で、一流の教養の持ち主であった。)
政治:99(事実上のローマ帝国の建国者であり、40年以上ローマ皇帝としてやっていった上で、
      帝政確立とローマ社会大改革をやってのけた。)
魅力:86(冷めた人物だとか、魅力を低く評価する人も多いみたいだが、私は高いと思います。 
      カエサル程の人望はなかったものの、カエサルの死後、すぐさま支持を得た。
      その時点でアントニウスとの勝利は決まっていたかもしれない。
      冷めた人物と思われがちだが、実際優れたユーモアセンスの持ち主で、賭け事が好きだったりするなど
      面白いエピソードも意外と多い人物。
      「元老院から送られた尊称「アウグストゥス」とは尊厳者の意で、死後「神」と言われたことも考慮。)

利点:政治、支持を得ること、人を見る目
弱点:雷、戦争手腕、花粉症、背の低さ(公式記録166.9cm)(笑)

長きに渡る帝国の内乱に終止符を打った初代ローマ皇帝です。
実は余り詳しくないので、列伝は割愛させてもらいます。

[137] 2003/10/31 13:47

 マイク・タイソン
武力99
戦いのセンスは極上品・才能も申し分無し!
智謀 8
これからの自分又人生設計などなど皆無
知力 4
俺は稼ぐ!だから使う!ので破産した!・・・360億も使っちゃダメダメ。
魅力92
スティービーワンダーと昼食をとり、夜はシャキールオニールら多数の選手と試合前のパーチィー
帰りは北極熊の毛皮をプレゼンツ・・・・。荒荒しさの中に子供のような素直さがある
友達は多い(しかし金目当てが7割を占める)
統率力13
「金の切れ目が縁の切れ目」これほどこの言葉が似合う人はいない。
特徴
イイ奴!キャラ的にいい事をしてもニュースにならないので世界中の人ほとんどが
あいつはいつも問題ばっかり!と思っている。
が!数々の募金・ちっびこボクシングとの交流会、上げるときりが無い。
あとレイプ事件もライバル選手に仕組まれた罠だったと言う事もみんな知らない。

[138] THE60 2003/11/02 20:45

適当だけど。

ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス (161〜192)

「哲人皇帝」マルクス・アウレリウス・アントニヌスの実子。
古代ローマ帝国屈指の暴君。
政治を顧みる事無く、皇帝でありながら剣闘士として自ら武器を持ち、戦った。
イカサマもあったが、剣闘士としての能力はかなりのものだったらしい。
その最期は、暗殺である。

用兵【50】個人レベルでの戦闘能力は高かった。
     一応、父との共同皇帝として指揮を執ったことはある。
智謀【10】精神的に参ってしまった人なので・・・。
政治【20】統治開始後、数年間はそれなりに。
     しかし、側近の粛清や寵臣の起用など腐敗が見られる。
     だが、その治世の間、ローマに大きな危険は降りかからなかった。
魅力【10】その他の暴帝と比べても、悲惨としか言いようが無い。
     例えばネロなら、民衆、他国民の人気は高かったのだが。
統率【10】統治に対する意欲のカケラも無いく、配下を統率することは無かった。

[139] カリオストロ 2003/11/04 18:10

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[140] ハンニバル 2003/12/10 22:28

グスタフ・アドルフ(1594〜1632)
スウェーデン王。1613年、南スウェーデンの領土を回復して、デンマークとの戦いを終わらせ、1617年にロシアと和睦し、その後ポーランドとの戦いに専念した。また、三十年戦争では新しい砲弾を開発し旧教派の軍隊を苦しめた。。戦場の敵軍に対しても、当時では考えられないくらい慈悲深い行為を示したので、敵兵士でさえも彼に対しては尊敬の念を抱かずにはいられなかった。政治面では貴族階級を抑えて、司法の大改革を実行、市民階級を育成し、絶対主義体制を整備した。また農業国からの脱皮をはかるために交易都市を建設、鉱物資源の採掘をすすめるため、海外からの投資を積極的にうけいれていた。教育改革にも熱心で、中等教育のための学校を各地に設立、衰退していたウプサラ大学をヨーロッパに誇る学問水準をもつ大学として復興させた。
武力:90(戦争では自ら先頭に出て戦い、敵の軍隊から「北方の獅子」と恐れられ、敵軍を次々と破った。戦闘では13回負傷している。)
智謀:20(その向こう見ずな性格からリュッツェンの戦いでヴァレンシュタイン軍の銃弾に倒れた。その戦いはスウェーデン軍の勝利に終わったが、王自身はその後死んだ。)
政治:78(鉱山の開発、貿易の振興、都市の新設、外国からの学者の招致などを推進し、経済・文化の発展に貢献した。)
魅力:98(王者の剛毅さを備えながらも近づき易く、穏やかで親切な態度をとることからカリスマ的な魅力があり、将兵からは大いなる敬慕を受けていた。)
統率:96(自らの軍には殊更に心血を注ぎ、その装備は富み、圧倒的な火力を持つ、当時ではよく整備された優秀な軍を用いるに至った。)
 

[141] 菊之丞 2003/12/10 23:54

お、なんだかノスタルジックな気分に浸れるスレッドです。

[142] 菊之丞 2003/12/11 00:19

漢武帝・劉徹(前159〜前87)
前漢第七代皇帝(在位前141〜前87)

 【武力】49
武帝の贈名に相応しい比類ない武威を誇るが、
戦いは基本的に配下の将に任せているので実戦での能力は未知数。
それでも『呉子』などの兵法書に精通しており、衛青や霍去病の能力を見抜ける程
度には軍事についてそれなりの潜在的才能が、あるようだ。
 【知力】79
強い意志と実行力を発揮。16歳という若さで皇帝となり、傀儡になることもなく天
下に君臨し、対外的な無敵っぷりは言うに及ばず、国内的にもそれまで慣習に囚わ
れることなく様々な改革を実行。硬直した人事を一新して有能な人材発掘に勤め、
民衆の規範として儒教を国教化。五経博士を設け学問の研究を盛んにし多くの経学
者を出すなど、文芸面でも優れた実績を残している。ただし、相次ぐ外征で戦費が
かさみ、おまけに大規模な土木工事や栄奢を極めた生活ぶりも手伝って国家財政の
危機をまねいた。酷吏を登用したり帝国滅亡の淵源となった外戚政治の前例を作る
など晩年は振るわず、江充の術中にはまり愛する皇太子を殺してしまった件も減点
材料。比類ない功績の反面、実に問題の多い人物だ。
 【政治】51
それまでの匈奴に対する屈辱外交を払拭。戦争だけでなく拡大した領土を守るため
に郡県制を敷き要地に漢人を移住させて屯田を置くなど、その維持にも気を配った。
内政では財政を立て直すため貨幣の乱造に増税、塩の専売や農業奨励を行うが焼け
石に水。増税の結果多くの流民を生んで、内政的にはむしろ国内を混乱させている。
国内の制度を一新させる統治能力はなかなかだが、とても優秀とは言いがたい。
 【魅力】55
武帝のもとには、中華史上稀に見るほど歴史に名を残す多くの逸材が集まっている。
でも独裁的な君主にありがちの直情怪行タイプで自制心に乏しく、変な意地から名
将 李稜を失うなど、人格者とは言いがたい。
その為か功績の割りにそこまで人に好かれてはおらず、儒教にとっての恩人なのに、
後世儒者に「徳のない武帝には、廟号なんて必要ない」と上申されたりした。
 【統率】95
武帝統治時代は前漢の最盛期となり、外征を繰り返した結果版図は秦時代の倍にも
拡大。シルクロードを中心とした交通路を開いて交易を盛んにし、漢帝国の威光は
北は万里の長城以北、南は仏印、東は朝鮮、西は中東まで及んだ。内的には諸侯の
力を削ぎ中央集権を確立。優れた人材を適材適所に使いこなし、司馬遷や李稜も酷
い扱いだった結果として『史記』が生まれた事を考えれば、人の才能を生かすこと
にかけては人知を超えた能力を発揮している。
ただし国威が長続きせず、漢帝国は武帝以降日が沈むように衰えていった事、晩年
は国内情勢 が混乱している点を考えれば、満点はあげられない。

[143] 菊之丞 2003/12/11 00:23

 【武帝の特徴】
劉徹(以後武帝)は先帝の14人中9番目の皇子であり、普通なら皇位になどとても
つけるものではなかったが、泥沼の大奥争いの末に、どういった加減か若くして
皇帝となることができた。なんといっても武帝の功績は、現在の広大な中国の領域
を、初めて確立したことに際立っている。

漢帝国は匈奴相手には、高祖劉邦が平城でボコにされ命からがら逃げ帰った時以降、
伝統的に皇族の娘を差し出すなどの屈辱外交を行って、あまり波風立たないように
気を使っていた。それが気に食わない武帝は、匈奴が内部の争いで若干弱まってい
る時を逃さず、先代以前から蓄えられてきた国力をフルに駆使して大々的な遠征を
行い、衛青や霍去病の無敵コンビの鬼のような活躍もあって大いに匈奴を打ち負か
した。匈奴が敵でなくなると、今度は雲南、貴州、広東、広西などの南方異民族に
矛先をかえ、これも打ち破って広大な領域を支配するに至る。また汗血馬が欲しい
という個人的ワガママから、張騫に西域を探検させた挙句兵まで派遣して、結果的
にシルク・ロードを開き西方交易を発展させるというウルトラCを行う。
漢民族は性質としてあまり外敵との戦いを得意とはしていないが、彼の統治は長い
歴史の中でも、かの国が最も外的に国威を高揚させた黄金時代を演出した。

しかし同時に、度重なる遠征は膨大な戦費を必要とし、国力を浪費させ財政を圧迫。
武帝統治も後半は外征をやめ、内政に集中し国家財政の建て直しを図ったが、あま
り身を結ばず、漢帝国はそれ以降は優秀な皇帝が現れなかったことも加えて凋落の
一途をたどることとなる。前漢最も輝ける拡大期は、同時にそれまで蓄積した国力
を一気に喪失させた衰退期ともいえる。

またこの時代の特色として、学問や文学が興隆し武帝自身も優れた詩文を残すなど
多才ぶりを発揮している。他にも中国や日本で年号を漢字で表すようになった始ま
りは、武帝の定めた『建元元年』に端を発したもの。

武帝の特徴は、皇位を巡って兄たちと一悶着あったことや、派手好きで度重なる外
征に大規模土木工事を行い、人材を重視。私生活では豪奢を極めつつ詩文に優れた
才能を発揮している点など、中華最凶の暗君『隋の楊帝』と、なんだかやってるこ
とは同じ。でも両者の統治の結果がまるで違うのは、前者は鋭敏で後者はそうでな
かったということだろう。

[144] qq 2003/12/14 19:20

http://yuutaroom.hp.infoseek.co.jp/

[145] ラック 2003/12/15 22:58

>>142−143
2chの数値化スレで同じような数値化を見た気がするんですが
無断転載はいけませんよ。

[146] 菊之丞 2003/12/16 00:13

>>145
許可はとってますよ。
っていうか、それ、前に僕が書き込んだやつだし(笑)。

[147] THE60 2003/12/16 19:17

もう遅いし、どうでもいいんだけど、グスタヴ2世アドルフ(>>140)について。
生半可な知識しかないが、項籍(>>126)のような猪武者と思われたら気の毒。
流石に、智謀20は悲しい。

彼の凄さは、砲弾の改良や常備軍の整備にあるというよりは、
明確な戦術にあわせて、軍制を整えたことにあると思うんだよね。
ギリシア・ローマの古典に学び、近代戦術の祖とさえ言われることのある人物。
あと、この人の戦死は、私が評価したマルケルス(>>102)とは意味が違う。

まぁ、戦略眼については微妙なんだけど。
後方の安全を確保するとか、敵を絞るとかその位はできた。
「バルト帝国」成立の為の戦略は見事なもの。

でも、如何せんスウェーデンは小国。人口少なすぎ。
せっかくの「バルト帝国」も崩壊するのは目に見えてた。
ああいう領土を確保したこと自体を責めることは可能か。

それと、政治力。これはもっと低いと思う。
絶対君主を目指したが、むしろ貴族の勢力は拡大したというのが、一般的評価。
あと、戦争しすぎて、ただでさえ少ない人口がさらに減少。これも減点か。

あ、あと彼はリュッツェンの戦いの「最中」に戦死してるはずですよ。
「北方の獅子」の後を継いだのが娘ってのも面白い。

[148] ZIRIA 2003/12/17 00:08

スウェーデンといえば、カール12世という人も
いましたね。「北方の流星王」ってこの人のこと?

[149] ハンニバル 2003/12/17 21:33

>>147
それは失礼。

[150] ハンニバル 2003/12/17 21:50

連書きですみません。
グスタフ・アドルフは私も最近調べたばかりなので知識が浅かったかもしれません。
たしかに、智謀20は低すぎましたね。

[151] THE60 2003/12/18 00:31

>>150
智謀の能力で何を評価してるかという要素もあるので、
ハンニバルさんの評価としては、智謀20でもいいんですけどね。
何か、勢いで書いてしまってる様に見えたので。

それより、カール12世ですよ。
マイナーだと思ったんですが、彼個人を取り扱ったサイトがあってオドロキ。
そこによると、「北方の流星王」は日本でしか通じないようです。

ホントに良く知らないので、数字評価はできませんけど・・・。
戦争ばかりしているので、内政手腕が未知数に近いし。
統率も、彼の器量に根拠を見出していいものかどうか。

[152] マフムード 2003/12/21 16:17

ああ、おもしろいスレッドがありますねえ。
…・・・ってか、今これを見つけて、ざっと読んでみたところです。
結構渋い人物も出ていておもしろいです。
わたしは基本的に世界史全般系ですが、まずはマイナー人物から。

[153] マフムード 2003/12/21 16:49

バーブル(1482〜1530)

【統率】85(何度失敗しても腹心の部下たちに見捨てられず、
      多民族混成の雑多な部隊を率いて北インドを征服する。
      若き日、ウズベク族との戦いから多くを学び、厳しい軍律と
      統制で軍隊を統率した)
【武力】79(超がつくほどではないが、普通に一流。慎重と果断をあわせ備え、
      時代の変化を読み取って古来の騎馬戦術と砲兵隊を巧みに
      組み合わせることに成功。第一次パーニーパットの戦い      
      では火砲を駆使してインドの象兵隊を撃破)
【知力】73(逆境の中にあっても最後まで挫けず、いつも解決策を見出した)
【政治】82(征服したインドを完全には掌握できなかったが、それを含めても、
      僅かな兵力で新しい帝国を建てたのだからこのくらいはあったはず)
【魅力】88(勇敢、明朗、快活。他人に信頼され、人望のある指揮官だった)

 備考:自伝『バーブル・ナーマ』があり、これはチャガタイ・トルコ文学の
    最高峰とすらいわれる傑作。詩人、学者としても名高く、自伝にも
    貴重な植物学や民族学的記述が散見される。

 インドのムガール帝国初代皇帝。父方からティムール、母方からはチンギス・
ハンの血を引く。15世紀後半、中央アジアの動乱の中で次第に頭角をあらわし
一時は大都市サマルカンドを征服してパミール高原一帯の支配者となるが、
後にサマルカンドを失陥。1504年には南に転進してアフガニスタンのカブール
を占領。イランのサファヴィー朝に従属して傭兵隊長のようなことをする。
その後なおも続く動乱の中で1512年頃にはとうとう北方での夢をあきらめ、
インドに新天地を求めることにする。16年、少数の軍隊を率いて初めて
カイバル峠を越え、以後数度にわたりインドに遠征。十年後の26年には
ついにパーニーパットの戦いで北インド・ローディー朝のイブラーヒーム
を破り、デリーを占領。晩年にはベンガルにいたるまでの北インド全土を
統一することに成功した。
……でも自伝によるとインドの暑い気候とまずい食べ物が大嫌いで、
いつかは故郷に帰ることを夢見ていたらしい。

[154] マフムード 2003/12/23 20:33

リチャード1世(1157〜1199) 獅子心王、Lion Hearted
プランタジネット朝イングランド王国第二代国王(在位1189〜1199)

【統率】62(短気だが統率力が無かったわけではない。むしろ本国から遠く離れた
      パレスティナの地にあって曲りなりにも西欧諸国軍をまとめ、エルサ
      レム回復とまではいかなくてもある程度の成果をあげ得たのだから、
      水準よりは上だと思う。しかし本国統治のいい加減さは大きな失点
      となろう)
【武力】89(極めて強い。なかば伝説化しているところもあるが、その生涯はまさ
      に「獅子心王」の異称に恥じず、戦いに明け暮れたものであった。個人
      戦においても武術の達人で、戦場や騎馬槍試合の勇士として知られた)
【知力】35(長期的な見通しが無さ過ぎる。長く本国を留守にしたため弟に国を奪
      われかけたこと、一時の功名心にはやってオーストリア公の恨みを買
      い、帰途捕えられたことなど短慮が目立つ)
【政治】18(お粗末の一語につきる。そもそもやる気がなさそう。即位以前アキテ
      ーヌ地方の領主としてそれなりの治績はあるが、これは大部分、母ア
      リエノールの功績であろう。弟ジョンが暗君とされるのも、半分はこ
      の戦争バカな兄のため)
【魅力】74(尊大であり、時に傲慢不遜であったが、不思議と他人をひきつけるカ
      リスマがあった。騎士の模範と見なされていたらしい)

【得意】戦術、築城、作詩、酒
【苦手】忍耐

ヘンリー2世とアリエノール・ダキテーヌの間に生まれる。長男と次男が早世した
ため、三男であったが王位継承者として扱われ、母とともに西部フランスのアキテ
ーヌ公領を宰領した。
両親の関係が悪化するとリチャードは母の側につき、フランス王と結んで父に反逆
した。ヘンリーが半ばフランス王に屈服するかたちで憤死するとその後を継いでイ
ングランド国王に即位し、翌1190年、サラディンの手から聖地を奪回すべく第三回
十字軍に出発。要港アッカを占領し、アルヌーフで勝利、ヤッファを征服する。
しかしその頃、リチャードと対立して先に帰国していたフランス王フィリップ2世
の示唆により弟ジョンが反乱を起こす形勢となったため急遽サラディンと講和して
帰国。帰国後リチャードはフランス西部をめぐってフィリップとの激闘に明け暮れ
るが、1199年三月、シャリュ城攻囲中に矢に当って戦死した。

[155] 菊之丞 2003/12/24 01:11

リチャード1世とくれば、次はこの人を。

[156] 菊之丞 2003/12/24 01:17

フィリップ2世「オーギュスト(尊厳王)」(1165〜1223)
フランク王国カペー朝第7代国王(在位1180〜1223)
 【統率】90
業績面では文句の付けようが無い、史上稀にみる優れた指導者。
当時弱小なフランスにありながら、若い頃から積極的に領土拡大に情熱を注ぎ、
絶頂のイングランド(以後イギリス)国王四代と渡り合って、フランス内のイギ
リス王領を根こそぎ奪い取り、果てはロンドンまで攻め込んだ鬼君主。
他にもオーベルニュ、シャンパーニュ、北・南フランスにも勢力を拡大。増大す
る領地を統治するために王領の行政機構を改革し、フランスカペー朝の勢力を飛
躍的に増大させた。
諸侯に対抗できたのも国内で大きな支持を取り付けることができたからこそ。
 【武力】72
リチャードには敵わないものの、ブーヴィーヌ戦では兵力劣勢にも関わらず、
オットー皇帝率いるドイツ軍を翻弄し、完勝した采配は見事なもの。戦術面でか
なりの才能があるが、同戦では一時危うく討ち取られそうな局面があるなど、実
戦部隊の指揮能力には、ちょっぴり穴があるのかもしれない。
 【知力】94
栴檀は二葉より芳しというが、フィリップはそうだった。僅か15で国王となり、
その当初から様々な謀略や政略を駆使して王権を強化し続ける。
極めつけはイギリス王家内部の軋轢を利用して、あっちこっちと散々かき回した
挙句にボロボロにする所など、そのやり口はまるでフランス版の毛利元就。
複雑な利害関係が絡み合っていた西欧を小ずるく立ち回り、国内的にも様々な改
革を行って王権を強化するなど、その統治にはまるでそつがない。
 【政治】80
ローマ教皇との折衝は上手くいかなかったが、フィリップ謀略の骨子である敵国
内の対立を利用するため、利害に応じてコロコロ相手を変え、結んでは離れる外
交手腕は鮮やかそのもの。
内的にも、他領の諸都市を認可して支持を取り付け、自領のインフラ整備も怠ら
ない。世襲制により硬直化した官僚機関対策には、有給官僚を設置して裁判を審
級制にし、定期金知行を施行。一方カペー朝の世襲制はちゃっかり確保するため
息子ルイに早めに王位を譲るなど、統治面でもなかなか適切で非凡な政治手腕を
発揮している。
 【魅力】60
「尊厳王(Auguste)」の贈名に相応しく、今なおフランスで偉業を称えられる
国家的英雄。Augusteには傲慢という意味も内包されているらしく、それもまた
彼の一面を示したものといえるだろう。肖像画はまさに悪代官フランスバージョ
ンだった。
謀略家の常ではあるが、そのこすっからい性格はあまりお近づきになりたくない。
おまけに女絡みの問題は、お隣のジョン王とも五十歩百歩(やっぱり50歩ほどは
負けるが)。同時代的にも後世でも賞賛される偉大な国王だが、その実績が無かっ
たら、たぶん友達も無かっただろう。

[157] 菊之丞 2003/12/24 01:22

 【備考】
当時の西欧では戦いは一種のスポーツのようなもので、(十字軍戦争は例外とし
て)騎士部隊が衝突しても殆ど死傷者がでない穏やかなもの。本格的な戦闘が行
われるのは1世紀ほど後の歩兵密集戦術の確立まで待たなければならず、同時代
的に戦闘技術の面では見るべきものはない。
また軍の規模もとても小規模で、有名なブーヴィーヌの戦いにしても、同時期日
本で繰り広げられていた富士川、倶利伽羅峠、一の谷の戦いなど、内戦である
「源平合戦」の各戦役と比較しても動員兵力は10分の1以下でしかない。
この頃アジアではチンギス・ハーン率いる蒙古軍が活躍しているが、もしフィリッ
プ率いるフランス軍が彼らと戦ったとしても、たぶんささやかなる抵抗も成し得
ずに、けちょんけちょんに蹴散らされたことだろう。

 【フィリップ2世の特徴】
フィリップ即位当時のイギリスは、プランタジネット家のヘンリー2世が王位に
つき、土産にフランスの西半分、政略結婚でスコットランド近辺まで領有するな
ど嘗て無いほど強大で、フランスに対して相当の優位にあった。おまけにフィリッ
プはまだ若く、経験も浅いのに対してヘンリーは百戦錬磨の猛者。そんな状況か
ら、徹底的にイギリスを食いつぶす毒虫ぶりがいい。
強いて難点を挙げるとすれば、戦いにおける初動で、しばしば敵に対して戦略的
な遅れを取っていること。ローマ教皇との反目が聖務禁止令やイギリス遠征の妨
害など障害となって常々立ちふさがり、それを解決できなかったこと。
またリチャード1世との戦いでは、イギリスから掠め取った旧領の殆どを奪還され、
リチャードの不慮の死が無ければどうなっていたか解らないことなど、少し気に
なる点もある。しかしその不利を克服するだけの政略と戦略眼は流石に一流で、
世界史的にも不世出の名君と呼ぶに相応しい人物であることは間違いない。

[158] マフムード 2003/12/24 09:50

十字軍がらみでこの人も。

[159] マフムード 2003/12/24 11:15

バイバルス1世(1223?〜1277) アル・ザーヒル(勝利王)
エジプト・マムルーク朝第五代国王(在位1260〜1277)

正式名:スルタン・アル・ザーヒル・バイバルス・アル・ブンドゥクダーリー

【統率】90(もとはといえば奴隷でありながら、フランス軍を撃退し、モンゴルを
       破り、果てはアンティオキア、アルメニアにまで兵を進めた偉大な
       指導者。配下のマムルークたちは本来自分の同輩なのにこれだけの
       業績をあげられたのは、類まれな統率力あってのこと)
【武力】93(世界史上でも一流に属する。アイン・ジャールートの戦いで天下無敵
       のモンゴル軍を真っ向から撃破したことをはじめ、彼の戦績は無数。
       平均して年に一度は陣頭に立っていたといわれ、個人的な膂力にお
       いては超人的)
【知力】85(碌な教養もなかったのに、一体どこからあれだけの戦略・政略プラン
       が出てきたのだろうか。全国に伝書鳩や早飛脚制度を組織して情報
       の円滑な伝達を図ったのみならず、フランク(十字軍)の拠点、ク
       ラク・デ・シュヴァリエ攻略の際には手紙の偽造なんていう悪どい
       策を使っている)
【政治】87(武の人と思われがちな彼だが、実は超一流の政治家でもある。アッバ
       ース朝の亡命カリフを擁立したことで権威の強化を図ったのみなら
       ず、シリアのイル・ハン国を挟撃するべく南ロシアのキプチャク・
       ハン国と遠距離外交を展開し、超過密スケジュールでもって戦陣の
       合間に行政面でも無数の業績をあげた。世襲制を確立できなかった
       のが唯一の失点)
【魅力】90(二万人以上のマムルーク軍団の中から抜擢されて将軍格となったのを
      はじめ、長年にわたる亡命生活の間も腹心の部下たちに見捨てられず、
      クーデターで政権を取ったにもかかわらず十七年間ものあいだ君臨、
      後世にはイスラム有数の英雄と称えられて千夜一夜物語にも登場)

【特技】戦術、馬術、弓術、水泳、酒、狩猟、ポロ、暗殺、手紙偽造、集中、不眠不休
【苦手】なさそう

[特徴]白内障だった。「世界を七周した男」といわれるほど東奔西走した人物。
    超人的な体力の持ち主で、一日でエジプトのカイロから
    シリアのダマスクスまで走りぬき(この間およそ700キロ)、
    しかもその過労も知らぬげにポロに打ち興じたといわれる。
[備考]総合ではほとんど世界最強?

[160] マフムード 2003/12/24 11:15

【列伝】

南ロシアの遊牧民の子として生まれるが、十代の頃にこの地を
侵略したモンゴル軍によって奴隷に売り飛ばされる。
白内障であったため買い手が付かずに諸国を転々とするが、やがてアイユーブ朝に
属するシリアの地方長官に買われてマムルーク(白人奴隷)軍団に編入。
抜群の武勇でたちまち頭角をあらわし、1150年エジプトに攻め入ったフランス王
ルイ9世を撃退。
その後新スルタン、トゥーランシャーに対するマムルークのクーデターの指揮を
とり、新たに先先代スルタン、アル・サーリフの未亡人シャジャル・アッドゥル
をスルタナ(女王)として擁立。
しかしその後シャジャル・アッドゥルの夫となったアイバクと対立し、七百騎
のマムルークとともにエジプトを脱出。数年にわたってシリア各地を放浪する。
1260年、モンゴルの脅威が迫ると、スルタン・クトゥズのマムルーク軍に帰参
し、モンゴルからの恫喝に対して徹底抗戦を主張。
シリアのアイン・ジャールート(エルサレムの北方)でキト・ブカ・ノヤン
率いるモンゴル軍一万数千を撃破。その帰途、恩賞の不満からかねての対立を
再燃させ、主君クトゥズを刺殺。全員一致で新スルタンとなる。
即位後は外征に内政に多大な業績をあげ、モンゴルに滅ぼされたアッバース朝
より亡命してきたカリフ一族を擁立し、アンティオキアを破壊。十字軍の拠点
クラク・デ・シュヴァリエ城を占領し、長躯アルメニアを征して事実上
シリア沿岸からフランク(西欧人)勢力を一掃した。

[161] ラック 2003/12/25 10:34

>>146
ということは、菊之丞さん=蘭太郎さん?
申し訳ありませんでした(^^;)

[162] マフムード 2003/12/25 11:50

三王十字軍だからもう一人入れておかねば。。

[163] マフムード 2003/12/25 12:57

フリードリヒ1世(1122〜1190) バルバロッサ(赤髯帝)
ホーエンシュタウフェン朝神聖ローマ帝国第15代皇帝(皇帝在位1150〜1190)
(シュタウフェン家の皇帝としては3代目)

【統率】79(ハインリヒ獅子公との確執の中でドイツ諸侯にそっぽをむかれたことも
       幾度かあるが、晩年にはほぼ帝国全体の諸侯を掌握することに成功)
【武力】69(好戦的で勇猛果敢だったが、これといった勝利がない。第四次イタリア
       遠征では諸侯の協力を得られなかったとはいえ、レニャーノの戦いで
       ロンバルディア都市同盟に完膚なきまでの敗北を喫している。大軍を
       召集するのに成功したときはそれなりの成果をあげているが、名将と
       はいい難い)
【知力】67(歴代神聖ローマ皇帝がはまり込んだイタリア政策に彼もまたどっぷり漬
       かり込んだ。しかし全体としては、一連のイタリア遠征にさしたる成
       果があったとは思えない。第三次イタリア遠征の際、ロンカール平原
       で開いた帝国議会ではあまりの重税を諸都市に課したため、教皇派・
       皇帝派の別なく、全北イタリア諸都市を敵に回している)
【政治】78(第四次イタリア遠征の大失敗を逆手にとってハインリヒ獅子公を追放し、
       帝国を再編、自らの実力を見せ付けて一挙に形勢を挽回する。一流の
       政治家といえよう。神聖ローマ皇帝権を大いに強化したと評価されて
       いる。ただしイタリア政策で減点)
【魅力】87(明るく快活で人を惹きつけるカリスマを持った人物。後世は英雄とたた
       えられ、伝説化された)

【特技】武芸
【苦手】水泳!?

[特徴]赤毛。だからバルバロッサ(Barbarossa=赤髭)と呼ばれる。
[備考]第二次世界大戦でドイツ軍が展開した「バルバロッサ作戦」の由来。

[164] マフムード 2003/12/25 13:29

【列伝】

シュヴァーベン公、フリードリヒ独眼公の長子として生まれる。母はヴェルフェン
家のユーディット。従って彼は皇帝派と教皇派双方の血を引いている。
1152年、叔父のコンラート3世の後をついでドイツ・イタリア王となり、翌々年の
1154年、従兄弟にあたるヴェルフェン家(教皇派)のハインリヒ獅子公らを率いて
初のイタリア遠征を敢行。一連の戦後処理を通じてドイツ国内に支配を確立すると
ドイツ諸侯をはじめ、ボヘミア、ハンガリーなど諸国の応援を得て再びイタリアに
侵入。二人の対立教皇を擁してロンバルディア都市同盟と激闘を繰り広げる。
しかし成果の現れないイタリア政策に対し、諸侯は次第に参戦を拒否しはじめ、反
フリードリヒ派の諸侯はハインリヒ獅子公のもとに結集、公然と叛旗を翻すにいた
った。
諸侯の協力を得られぬまま敢行した第四次イタリア遠征で大敗を喫したフリードリ
ヒはハインリヒ獅子公らを帝国追放に処し、反皇帝派の諸侯領を没収。帝国の再編
を強行する。この大改革によってフリードリヒは自身の権威を完全に確立した。
その後フリードリヒは英王リチャード、仏王フィリップらとともに第三回十字軍に
参加するが、途中キリキアのサレフ川で溺死した。

[165] マフムード 2003/12/25 13:44

ここで、今までにこのスレに登場している
十字軍関係の人物の能力値合計を比較してみます。

サッラーフ・アッディーン(サラディン)……413
            リチャード1世……278
            フィリップ2世……396
            バイバルス1世……445
           フリードリヒ1世……380
                         結論:イスラム強し!
                             リチャード低!

[166] 瑠亜 2003/12/30 23:58

>マフムードさん
このサラディン評価の合計って私のですよね?
バイバルスに大きく負けていますね(笑
私がバイバルス数値化してもほぼ同じか、さらに高くなりそうな気もします(笑
よろしければ、あなたのサラディンの評価を教えてもらえませんか?
自分で数値化したものの、知力、魅力が高すぎたと思い、他の方の評価が見てみたいんですよ。

[167] NHK再放送記念 2004/01/03 01:04

日本の古代で最もメジャーな人物、聖徳太子を特集してみようと思う。

聖徳太子(厩戸王子。574〜622年)
武力 61
智謀 95
知力 99
魅力 97
統率 85
[特徴]日本で初めての憲法となる憲法十七条,官僚機構の嚆矢となった冠位十二階の制定
   法隆寺,四天王寺の建立,遣隋使(小野妹子を中心とした)の派遣など古代日本の
   行政機構を確立。
   13歳で物部氏vs蘇我氏の戦に参加し、その時の功績により蘇我馬子の補佐役となる。
   593年推古天皇の即位と共に、天皇の摂政となり日本の政治を切り盛りした。
   人の話を10人まで聞き分ける事ができるという人身掌握術にも長けていた。
   また、仏教を中心とした鎮護国家を創立したのも彼である。 
[備考]各パラメータの解説
   武力…物部氏の戦に参戦し、弓矢で次々に敵を討ち取っている事からも決して低くないと思う。
      後半生を政治家一筋に過ごしているので、バリバリの武人ではない。
   智謀…物部氏の滅亡,推古天皇の擁立(=崇峻天皇の暗殺)は蘇我馬子の専横+彼の智謀があって
      こその物。
   知力…仏教思想+外国(この当時では百済・隋)の思想を融合させた政治方針は正に完璧としか
      言いようが無い。世界的に無名だった日本を短期間で隋を見下せる国に仕立てたのは彼の知力のおかげ。
   魅力…蘇我氏は結構敵も多かったが、この人に関しては敵は殆ど居なかった。(敢えて言うと馬子
      のブレーンだった人に疎んじられていた位)また人身掌握能力にも優れていた。
   統率…基本的に長としての統率力は有った。ただ、天皇や豪族の長として君臨した事は1度もなく
      補佐役にとどまっていたが故にこのパラメータは90以上は付けにくいと思う。

   全体的に聖徳太子は古代日本を通じて最高の政治家・学者(国史の編纂)であったと言える。
   惜しむらくは蘇我氏の暴走を止められなかったことと、短命(享年49歳)であった事くらいである。

[168] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2004/01/04 13:38

◆微茲甫(宋の襄公)◆(?〜前637)/(在位前651〜637)第19代目宋公
【統率】58
【武力】62
【知力】65
【政治】70
【魅力】85
【特技】
列伝;「春秋の五覇」にたまーに入れてもらえる人。
「泓水の戦い」(前638)で楚軍が河を渡って陣形を立て直すのを待ってあげたやさしい人
そして戦闘ではボロカスに負け、有名な「宋襄の仁」という故事ができました
う〜ん、この人もアホの一言じゃ済ませられない、いろんな評価がありますね(^^;)
放浪期の晋の文公に贈り物を届けたりもしています。

◆楚の荘王◆(?〜前591)/(在位前614〜前591)
     《三年後》
【統率】35 → +50
【武力】30 → +50
【知力】34 → +50
【政治】 3  → +80
【魅力】36 → +50
【特技】三年寝太朗

[169] マフムード 2004/01/04 18:11

>>166
>このサラディン評価の合計って私のですよね?
 そうです。勝手に引用してごめんなさい(笑)
お待たせしました。わたしのサラディン評価です。

【統率】70(もともとシリア地域が群雄割拠状況だったことを考慮して)
【武力】84(そのまま)
【知力】75(寛容性は時に政治的効率性と対立する)
【政治】70(そのまま)
【魅力】94(ヌールッディーンの側近いわく「ユースフの小僧めが!」)
【特技?】幸運の星、野心なしに権力を手にすること、ちょうどいい時に敵が死ぬこと
[特徴]騎士道精神あふれる、勇武寛容の将。「聖将」

う〜ん、適当ですけどね(笑)
あんまり深く考えて評価しているわけではないので……

>168
「三年鳴かず飛ばず」ですね!

[170] マフムード 2004/01/13 16:54

パソコンのバックミラーがおかしくなってしまったので
しばらく来れないと思います。
復活したらルターとムハンマドと康熙帝をやってみようと思います。
日本史か現代世界の政治家もやるかもしれません。

[171] 山本五十六 2004/01/15 13:49

これ言っちゃどうしようも無いんですが
どうしても気に入らなかったのでダメ出し

>諸葛亮孔明(181〜234)
>武力:24(武将というより政治家
軍師です
>知謀:92(100とつけたいが、戦略家ではないので92ぐらい 
戦略家でしょう
>知力:100(これは100。孔明の政治手腕は伊達じゃない 
負けたことは何度もありますね
100とは言えないでしょう
>魅力:99(北伐の際、蜀の桟道は行進が辛いので、
     (普通は多くの 兵が逃げ出すが、
     (蜀の兵はほとんど逃げなかった。
     (これは一重に孔明の誠実さ魅力が大きく影響してるだろう
>統一:76(軍略家ではないので、統一には少し不充分なとこもあったかも
統一はホボできてたといえるでしょう
>「特徴」:蜀漢の丞相、先帝劉備の意志を継ぎ北伐を行なうが無念にも五丈原で没
>「備考」:54歳まで生きてたので、短命とは言えないが、この人の場合、これは短命というしかない 

>[52]板東英二 03/06/03 17:59 8NlapIpIt6L
>源義経
>武力 98(これは彼の武勇はすごかったと思うから。)
伝説は沢山ありますが、強い訳ではなかったようです
まぁ何か(忘れた)に長けてたようですが
>知謀 89(あれだけ平家に勝っているのだからまあまあの戦略だったのでは)
>知力 56(頼朝の行動が読めなかったのはすこし減点対象)
分かっていたが、兄のためと思っていたそうです
>魅力 89(弁慶がついていたのでなかなか魅力はあったのでは)←私の見解
弁慶がついていって位魅力が高かったんじゃないでしょうか?
>統率 95(崖の上から平家軍を奇襲し、兵をみごとに統率したのは並大抵では
      無かったのでは)
>【特徴】頼朝と馬が合わなかったのは残念。

[172] 山本五十六 2004/01/15 13:51

あ、間違いハケーン
>弁慶がついていった位魅力が高かったんじゃないでしょうか
でしたー

[173] ■中国の歴史人物を登場させよう! 2004/01/15 21:49

知謀と知力の違いがよう分からん

[174] マフムード 2004/01/16 12:18

>>170
と思ったら、他のパソコンが使えるようなので、時々来れるようになりました。
本来のが復帰するまで約一ヶ月IDが変わりますが、本人です。
一応クリプト付けておきます。

>>171
100までいきますか?

[175] マフムード 2004/01/16 12:19

↑諸葛亮の知力のことです。

[176] THE60 2004/01/19 23:55

誰か、山本権兵衛の評価やってくれないかな。

[177] マフムード 2004/01/21 19:31

>>170
バックミラー??? 何書いてるんだ、一体……バックライトに訂正。
それも直ったので、早速ルターの評価をやるとしましょう。

マルティン・ルター(1483〜1546)
ドイツの宗教改革家・ヴィッテンベルク大学神学教授

【統率】31(ドイツ農民戦争で領主の側につき、「裏切り博士」と罵倒された。
       所詮は一時的カリスマの人。指導者の器ではない)
【武力】25(勇猛果敢だが、実際の戦闘には無関係)
【知力】90(神学上の知識は卓越したもの。頭の回転はよい。保身術も合わせて)
【政治】27(単にローマ教会に楯突いただけで、長期的ビジョンが何もない)
【魅力】95(恐るべきカリスマの持ち主)

【特技】演説、論争、扇動
【苦手】権威(一旦離反すると、無視するようになる)、(伝説によると)悪魔

[特徴]1517年10月、ヴィッテンベルク城教会に「95か条の論題」を貼り出し、
    ローマ教会による搾取・教会の腐敗堕落を非難。ドイツ宗教改革の
    発端となった。その後運動が拡大化し、農民の武力反乱が始まると
    世俗領主側に立ち、「裏切り者の博士」と称された。
[備考]とくになし。

[178] マフムード 2004/01/22 22:18

マハムード・ダーウーディー(11世紀〜12世紀)
ペルシアの占星術師

【統率】1(考える必要がなく一瞬で評価できるのがいいなあ……笑)
【武力】10(猛犬二頭と闘ったとか。常人には無理です)
【知力】5(占星術能力以外は幼児なみ)
【政治】1(そんなものは……ない!)
【魅力】70(百発百中の占星術は十分に魅力的)

【特技】占星術、猛犬・猫と闘うこと、非常識な大言壮語
【苦手】上記以外のすべて

[特徴]ペルシアの占星術師。予言は百発百中だが、全くの白痴と伝わる。
    スルタンのもとに送られてきた二匹の猛犬と闘い、見事勝利をおさめた。
    人々がイブン・シーナー(ペルシアの大学者)を誉めそやすのを聞いて、
    「イブン・シーナーってのが誰だか知らんが、俺はそいつの百倍偉い。
     そいつは猫とも戦ったことはなかろう。俺は二匹の闘犬と戦ったぞ!」
    と怒鳴ったという逸話がある。
[備考]歴史人物なら誰でも構わないということなので、実験的に極端な人物を
    取り上げてみました。
    白痴というのは差別用語でしたっけ? もしそうだったらごめんなさい!
    資料にそう書いてあって、他にぴったりした表現を思いつかなかったので……

[179] 尼子久幸 2004/01/23 12:47

           /ミミミヽ.'〆′    \
         . /,、...、ミミ'〆.、ヽ      `' 、  
          i'/ ニ .lミ〆ミミミヽ ヽ        `' ァ -
          | ;i、l.//ミミミミ' ヽ \       /   
         . !'i  //ミミ  ̄    `' 、`' 、,   /  /
         ..lミ'、.//ミ'     .-‐.、_  `'. 、,`''ー‐‐/
  )'ーーノ(   ..ミミ〉'/`'      ''ーt..ミt、,.ィ ., ``' 7´'"l
 / は   |   -/l l             ̄` .,rイミ=;ッ  あ ヽ
 l   ・  i´ ヽ、 ヘ. l !        ,...、  l  `7  ・  /
 |  る   l  トー-ト|ヾ、      _. ゝ、 .,' ノ |  ま |
 |  ・   |/     | l ヽ   ''''ニ、ー、' ミ''"/ヽ l   ・ |
 |  久  |       | l | ヽ    ヽ`'ー`〉"| |  l  ご  |
 |   !!  |     / | | |   \、,,,,,,;;`/ ,ノ| |  |  !! |
ノー‐---、,|    / │l、l    `'ー,''   |レ' ,ノノ ノハ、_ノヽ
 /        / ノ⌒ヾ、  ヽ    ノハ,      |
,/      ,イーf'´ /´  \ | ,/´ |ヽl      |
     /-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ    |  l
   ,/   | ヽ  \  _,ノーf' ´  ノノ  ヽ   | |
、_    _ ‐''l  `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_   _,ノ ノ
   ̄ ̄   |           /    

[180] マフムード 2004/01/30 22:03

康熙帝(1654〜1722)
大清帝国 第4代皇帝(在位1661〜1722)
正式名:愛新覚羅 玄曄

【統率】92(14歳で権臣らを排して後、死にいたるまで親政を執る。多様な民族から
       なる大清帝国を強力な主権のもとに統合し、清朝三百年の基礎を築いた)
【武力】78(三藩の乱を鎮圧し、台湾を降し、自ら漠北へ親征してジュンガルの英傑
       ガルダンを敗死せしめる。名将であり、それに相応しい強い決断力と
       勇気を持っていた)
【知力】88(孫の乾隆帝には及ばないが、文化人として知られる。政務の暇を縫って
       学問に精励し、血を吐くまで勉学に努めた。また中国歴代君主の中で
       は稀有なことに、西欧など海外の文明文物を高く評価していた。後継
       者問題にひっかかったことで僅かに減点)
【政治】100(六十年という非常に長い期間にわたって、常に優れた政治を行った。
       彼の時代帝国の領土は大きく拡大し、また繁栄した。決して政務に倦
       むことなく、また讒言に耳傾けたり寵臣を用いることもなかった。満
       州族王朝である清は正統中華王朝として確立した。功績と能力、意欲
       において、彼はまぎれもなく世界史上最高の名君といえよう)
【魅力】85(真面目すぎて少々面白みに欠けることは否定できないが、誠実で勇敢、
       文武に優れた偉大な統治者であった。フランス人宣教師のブーヴェも
       帝の人格に魅せられ、名著『康熙帝伝』を著した)

【特技】学問、武術、馬術、狩猟、集中、不眠不休
【苦手】親馬鹿(第一回目の後継者選びに失敗)

[特徴]八歳で即位し、以後六十年間にわたって帝位にあった。中国南部で反抗する
    軍閥「三藩」を降し、明朝の衣鉢を奉じてしぶとく抵抗する鄭氏台湾を降伏
    させ、ジュンガルのガルダンを破ることにより中国の歴史上はじめてモンゴ
    ル・チベットを直接統治下に組み込む。日夜政務と学問に努め、文化文芸を
    奨励。ロシアとの間にネルチンスク条約を結んで国境を定め、史上空前の大
    版図を実現。以後、雍正・乾隆と三代にわたって続く清朝黄金時代の基礎を
    築く。武芸にも優れていた。また、たいへん孝心が厚かったという。
[備考]中国史上もっとも長い治世(60年間)をほこる。

[181] マフムード 2004/01/31 16:13

偽ドミトリー1世(1582?〜1606)
動乱時代ロシア帝国の僭帝(在位1605〜1606)
正式名:グリゴーリイ・オトレーピエフ?

【統率】55(利用価値のある間は推戴されていたが、一度クーデターが起こると
       あとは無残。様々な党派間の危ういバランスの上の成功だった)
【武力】64(敗戦も少なくないが、勢いに乗ってモスクワまで到達。
       むしろボリス・ゴドゥノフ政府の無為無策ぶりの方が大きい)
【知力】91(狡猾きわまりない役者。ロシアに僭称者多しといえども、
       野から出た者としてはもっとも成功した人物だろう)
【政治】52(それなりの善政をしいたとも伝わるが、配下のポーランド人と
       モスクワ人の対立をまったく抑えられなかった)
【魅力】80(死せる皇子の再来ということでかなりのカリスマはあった。
       だからこそ傀儡たりえたともいえる)

【特技】僭称、演技、交渉
【苦手】?

[特徴]イワン4世(雷帝)の子で、死んだはずの皇子ドミトリーと称し、
     リューリク朝断絶を理由にロシアの帝位にあるボリス・ゴドゥノフを
     「僭帝」として激しく非難。
     ポーランドをはじめボリス政権に反対する諸勢力を糾合してモスクワに進撃。
     1605年、帝位につく。
     しかし駐留するポーランド人とモスクワ人の間に対立が起き、
     翌年、「偽の皇帝・異端者」として反乱にあい、脱出しようとして失敗。
     処刑された。
[備考]十中八九偽者であろうが、実は今にいたるも
     彼が「本当のドミトリイ皇子である」ことを否定する決定的証拠は見出されていない。

[182] RR 2004/01/31 17:13

お初です。

「ヒトラー」
武力0〜100(そりゃぁこの時代ピストルがありますから)
知力80(政治家としては優秀、戦略家としてはダメ)
政治95(先にも書いたが政治家としては人より先を見ている)
魅力90(あれだけ国民から支持された人は少ないと思う)
統率90(総統ですから)

備考、国家社会主義ドイツ労働者党党首

[183] マフムード 2004/01/31 17:22

勝海舟と山本権兵衛、尼子晴久? 等の評価依頼が来ているようですね。
個人的にはビル・ゲイツの評価とかも見てみたい。
(情報が無いんで自分ではできません)

[184] マフムード 2004/01/31 18:57

訂正集

>>154
>要港アッカを占領し、アルヌーフで勝利、ヤッファを征服する。
   →アルヌーフではなくアルスーフ

>>159
>「世界を七周した男」といわれるほど東奔西走した人物。
   →「世界を一周した男」
     生涯の総移動距離の総計が四万キロに及ぶと言われることから。

>>181
>翌年、「偽の皇帝・異端者」として反乱にあい、脱出しようとして失敗。
>処刑された。

処刑というか斬殺。窓から飛び降りて足を挫き、兵士に見つかって斬り殺される。
「おまえは結局誰なんだ」と訊かれて、「余はおまえたちのツァーリ(皇帝)である!」と。

[185] 穴蔵登米 2004/02/03 17:04

雍正帝(1678〜1735)
大清帝国 第5代皇帝
愛新覚羅:胤

【統率】92(帝国存続の為、文字の獄などで反対派を悉く粛清し、
     14年間国内で全く反乱を起こさせなかった。)
【武力】44(康熙帝と違い、戦面での活躍はそんなにない。
     抜群の政治家なので、得意ではなかっただろう。)
【知力】87(康熙帝と違って陰険な部類だが、邪魔者をどんどん粛清していった。
     全国各地に密偵を派遣し、役人の行動や言動を監視させている。)
【政治】100(いつも朝4時に起きて、7時には大臣たちと閣議を行い、
     夜遅くまで地方から送られてきた報告書に目を通し、寝る時間も僅かだった。
     また、無駄な出費を嫌い、夏は別荘へ避暑に赴き政務を休んだ康熙帝より、政治家として熱心だった。
     常に「天下の公僕」と主張し、世界至上類を見ない啓蒙思想主義君主で、
     その他にも色々な優れた政治を行い、汚職官僚を取り締まり、すべての官僚が清廉潔白な時代を作った。)
【魅力】52(減税を行い、人民によって、業績を石碑や記念会館に残して後世まで称えようとされたが、
     これは、政治での圧倒的な業績があってからこそ。 冷酷な性格で、
     彼を恨むものはたくさん居た。 多大な業績がなければ、友達も出来なかっただろう。)

康熙帝は 94、77、91、99、90 くらい。 やはり差がつきますな。

[186] マフムード 2004/02/04 23:30

なるほど、わたしだったら
統率:雍正>康熙
政治:康熙>雍正
にするかな? 例の秘密親書で隙なく統制していたということで。
乾隆帝の避暑については、熱河で帝国北半(満州・モンゴル)に
目を光らせるためという説もありますからね……
(いや、もちろん各人がそれぞれの基準でやっていいわけですけど)

わたしの評価だと、たぶん政治100は康熙とアウグストゥスになるかな?
そのかわり雍正帝の統率は95以上……100かな?

乾隆帝をリクエストしておきます。誰かやってくれませんか?

[187] 穴蔵登米 2004/02/07 03:56

非常に難しいんですよ。 康熙と雍正の比較は。
61年と13年では在位期間の差が激しすぎるから、
康熙帝の方が凄いと、必然的に名君に見えますし。
しかし、今回の評価は、『部分、部分』をとっての評価で、
また「可能性」というものを考慮したものです。
もし、雍正が長命で、20年、30年も皇帝の地位に居続けたら・・・」
と言った感じで・・・ だから、多少(かなり?)雍正に贔屓しているかもしれません。
それでも、康熙と雍正の政治力の優越は付けられません。 両方100です(爆)

乾隆帝は私には荷が重過ぎますw あと、始皇帝、李正民、朱元璋をリクエストします。

ちなみに全能力、100候補を挙げときます。 全然詳しくないですが(汗)
叩いて下さいw

統率 チンギス・ハン(割り込める人物はいないと思う。)
武力 アレクサンドロス(中国史好きの為、李靖も候補に)
知力 ユリウス・カエサル(割りこめれる人物がいない… 中国1位は張良かなぁ?)
政治 アウグストゥス(康熙、雍正、あと個人的には張居正と蕭何)
魅力 キリスト、ムハンムド、ゴータマなど教祖系の誰か

[188] マフムード 2004/02/07 13:35

100候補ですか。面白いですね!

とりあえずわたしが考えているのは
武力100・・・アレクサンドロス。これはもう確定でいいと思います。
知力100・・・カエサルの他にビスマルクも。カエサルは政治でも99まで行けるかと。
政治100・・・康熙帝、アウグストゥスの他に、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世も。

張良は知力99くらいだと思います。あと蘇秦・張儀なども捨てがたい。
魅力も難しい。とりあえず趙匡胤やムハンマドがかなり上位にくるとは思いますが……
あと武力でも、モンゴル帝国のスブタイ、ティムールなども高そうです。初期イスラムの名将たちも。

[189] マフムード 2004/02/07 13:59

追加、統率100までは行けないだろうけど、
古代ギリシアのクセノフォンもかなり上位に行けると思います。
この人はソクラテスの弟子で、ペルシア帝国に王位継承争いが起こったときに
ギリシア傭兵の中に加わって王子キュロス(小キュロス)のために戦います。
ところがキュロスが破れた後、ギリシア軍はバビロニアの真っ只中に孤立してしまいます。
ギリシア人が途方にくれる中、クセノフォンは見事なリーダーシップを発揮して
態勢を立て直し、兵士たちを叱咤激励して、六千キロに及ぶ敵中突破行の末、
ついに黒海まで到達することに成功します。
たぶん統率95は堅いと思います。

[190] 志麻 2004/02/12 00:08

統率100…チンギス・ハン(始皇帝、アッティラ、アレクサンドロス)
武力100…アレクサンドロス(項羽、バトゥ、スブタイ、ボー・グエン・ザップ)
知力100…マンネルヘイム(劉基、張良、カエサル)
政治100…カジミェシ3世(アウグストゥス、康熙帝、ビスマルク)
魅力100…? いないと思う

[191] マフムード 2004/02/12 21:07

歴史人物なら誰でもいいんですよね?

統率100に南極探検家のシャクルトンを追加。

[192] ZIRIA 2004/02/12 22:36

う〜ん、世界レベルで見ると、
日本人って、誰か凄い人いないのかな??

神宮皇后とかか?

[193] マフムード 2004/02/12 22:43

>>192
う〜ん。難しい問題ですねえ。
やはりわれわれは日本人なだけに日本史人物をもちあげたくもなるけど、
冷静に考えると日本一国と世界の他の全地域ではそもそも比較になりませんからね。
まあ、(ちょっと反則ですが)、日本史は日本史、世界史は世界史で
別基準でやるのが一番いいかも。

また日本以外でも、たとえばアフリカやオセアニアなどの
ローカルでも物凄い能力のあった人をどう評価するかという問題もあると思います。

[194] マフムード 2004/02/13 21:12

乾隆帝(1711〜1799) (高宗)
大清帝国 第6代皇帝(在位1735〜1795)
正式名:愛新覚羅 弘暦

【統率】83(悪くはないんだけど……晩年、権臣の専横を許したのが失点)
【武力】52(彼の代ともなると、もはや皇帝自ら戦陣に立つことはありえない。
       一応清朝の最大版図を実現したのと、武芸に優れていたことを考慮)
【知力】86(強靭な知性と深い教養。文化人としても一流)
【政治】85(彼もまた偉大なる名君であった。毎日政務に励み、度々南方へ行幸して
       地方の状況を自ら視察したりもしている。ただしやはり三代目の限界か、
       最下層の民衆の生活は苦しかったとも伝えられる)
【魅力】89(やたらと自慢したがるところは難だが、一方でそれが一つの魅力ともいえる。
       悠揚せまらぬ生まれながらの帝王。文化学芸に通じ、一流の詩人で、
       度量広く、ロマンスの伝説もある。後の世の文人たちは乾隆帝の治世を
       黄金時代として称えた)

【特技】武芸、狩猟、作詩、書道、文学評論、美術鑑定
【苦手】皆無!

[特徴]清の六代皇帝。祖父・康熙帝の薫陶を受け、25歳で帝位に即く。長く安定した
     政治を行い、外へ向けては十度の遠征を行って歴代中最大の版図を実現した。
     直接の統治だけでなく属国・朝貢国をも含めると、実にその範囲は、北は
     シベリアから南はマレー半島、東は朝鮮から西はアフガニスタン。アジアの
     半ばに及ぶ。帝自身その武功を自賛して、「十全老人」と称した。
     優れた文化人としても知られ、詩人としても高く評価される。
     晩年、権臣の専横を許したのは、帝の生涯における唯一の汚点であった。
[備考]僭越にも「中華文明の最高峰」の帝王を評価させていただきました(笑)。
     どうぞ存分に叩いてください。(笑)

[195] 穴蔵登米 2004/02/13 23:00

おー! ナイスな評価!
私なら知力を若干下げ(80くらい)、魅力を若干上げますね。
確か、康熙帝をして「自分以上」と言われた人物ですからね。 能力は全体的に高め!

[196] マフムード 2004/02/13 23:20

ピョートル1世(1672〜1725)大帝
大清帝国 第4代皇帝(在位1682〜1725)
正式名:ピョートル・アレクセーエヴィチ・ロマノフ

【統率】84(これは難しい。鉄腕もて大改革を強行した人物ではあるが、反乱も少なくない)
【武力】73(優秀な指揮官だが、かといって天才というわけではない。戦術面においては、
       ライバルのスウェーデン国王カール12世にかなり遅れをとっている)
【知力】39(有能なのに、実は何も考えていない。基本的に出たとこ勝負。では馬鹿なのか
       ……というと、そうも言い切れないところがある。そこが難しい)
【政治】95(凄まじいまでの剛腕で、力任せに広範な大改革を実施。海軍を創設し、軍隊を
       改革し、財政も整備し、行政も多分野で改革。さらに古いモスクワを捨て、
       新帝都ペテルブルクを建設した。独創性はそれほど無いが、これだけ多くの
       改革を、それも無理やりに強行して成功させてしまったということが凄い)
【魅力】66(遠くから見ていると、これほど面白い人物も少ない。しかしそばにいられると
       扱いに困るだろう。短気、粗暴、予想もつかない行動。気さくで陽気でも
       あったが、いつ気が変わるかわからない。同時代のロシア人の大半は
       ピョートルの改革を全く理解せず、彼を「アンチ・キリスト」と見なしていた)

【特技】酒、放縦、一喝、激発、即決、技師の真似、歯医者さん(笑)、床屋さん(笑)
【苦手】忍耐、冷静

[197] マフムード 2004/02/13 23:21

[特徴]身長2メートル以上、旺盛な食欲と知識欲、好奇心の持ち主。
     西欧へのお忍び旅行に出かけたとき、アムステルダムで知り合った巡回医師に
     抜歯手術の手ほどきを受け、以来それを無二の趣味とし、多くの廷臣をこの
     迷惑な趣味の犠牲にした。(笑)
     初めは姉ソフィアの後見を受け、ソフィアの傀儡であった兄のイワン(5世)と
     共同統治をした。少年時代はモスクワ郊外の外国人居住地に入り浸り、そこで
     様々な分野にわたる最新の知識を貪欲に吸収。貴賎を問わず、友人たちを集めて
     放蕩三昧の日々を送る。その内戦争ごっこから発展した「連隊」を作りあげ、1689年
     この遊び半分の「連隊」によって摂政ソフィアを排除。親政をはじめる。
     ロシアの強国化・西欧=近代化を目標に次々と大胆な改革を実施し、1697年には
     自らお忍びで西欧への「大使節団」に参加。西欧文明とその社会をつぶさに観察する。
     ロシアの後進性の象徴として、彼は大貴族たちの髭をそり落とすことを厳命し、
     従わぬ者からは遠慮会釈なく「髭税」を取り立てた。
     1700年からはバルト海の支配をめぐってスウェーデンと対立し、1721年まで北方戦争
     を続ける。その最中の1703年、ネヴァ河口の湿地に人口都市ペテルブルクを建設し、
     ここを新しい帝都と定める。
     完全とはいえないまでもロシアの近代化・強大化を進め、領土を拡大し、中央集権化
     を促進。さまざまな改革を行った後、1725年に崩御。病の身でありながら、冬の海で
     転覆しそうな漁船を助けるため海に入ってしまったのが決定的な死因とされる。
[備考]意外と評価が難しい人です。
     結論、猪突猛進で考えなしの大政治家。(笑)

[198] マフムード 2004/02/13 23:25

>>196
とっんでもない超大ミス発見!
なんでピョートルが「大清帝国皇帝」かい!!

>大清帝国 第4代皇帝(在位1682〜1725)
を、
 ロマノフ朝ロシア帝国 第4代皇帝(在位1682〜1725)
に訂正。

ああ大恥……(汗)

[199] マフムード 2004/02/13 23:33

>>195
>私なら知力を若干下げ(80くらい)、魅力を若干上げますね。

そうですね。自分で評価しといて言うのもなんですが、そのくらいが妥当かも知れませんね。

妥当といえば、評価終えたばかりだけど、早くもピョートル大帝の政治を
95から97くらいに引き上げたい気が……
ピョートルが95となると、「96から99までの間には誰が入るのか」ということになるわけで……
どうもピョートル以上の大政治家というのは、世界史全体でも20人も無さそうな気がする……

[200] 穴蔵登米 2004/02/14 00:07

張良(?〜前186?)

【統率】40(韓王成の宰相でも、劉邦の下でも、
      特に指導力を発揮することはなかった。)
【武力】47(1000余人を率いて漢の故地を攻略して、数城を落としているが、
      その後秦に敗れて、数城失い、その後は特に戦陣には立っていない。
      それほど得意としなかったと思われる。)
【知力】97(「籌策を帷幄の中に運らし、勝を千里の外に決す」と絶賛された天才。
      常に正しい献策を行い、間違ったことを言うことはなかった。
      劉邦の信頼は頗る厚く、いつも劉邦に進言を受け入れられ、その進言は100%正しかった。
      粛清を予期して(?)、逃げたのも見事!)
【政治】39(意外かもしれないが、政治面での活躍は殆ど無い。)
【魅力】68(特にエピソードは無く、劉邦以外の反乱軍首領には無視されたりしている
      しかし、劉邦からの抜群の信頼や、それ以外も何かと頼られているので、
      なかなかの、魅力の持ち主であったと思う。 顔も美男だし。)

[列伝]
祖父,父とも韓の宰相を務めた名門の出身で、韓を滅ぼした秦を憎み、
始皇帝を暗殺しようと企むが、失敗して逃亡。 
下ヒに潜伏中、賤しい老人に太公望の兵書を授けられる。
その後劉邦の幕下に加わり、しばしば正しい進言を行い、その都度受け入れられる。
参謀として常に劉邦の傍らにあり、戦略眼は群を抜いたものを持っていた。
その才能を劉邦に高く評価され、(「籌策を帷幄の中に運らし、勝を千里の外に決す」と絶賛された。
その後、長安を都とするよう進言し、仙人になるとして引退。
病弱で、美女と間違う程の美男だったが、結構長生きしたらしい。

[201] マフムード 2004/02/14 12:43

>>170で予告したままのムハンマドをやるとしましょう。

[202] マフムード 2004/02/14 13:16

預言者ムハンマド(571?〜632) ナビー(預言者)、アル・アミーン(誠実者)
イスラム教の開祖、預言者
正式名:ムハンマド・イブン・アブドゥッラー・イブン・アブド・アル・ムッタリブ・アル・ハーシム・アル・アミーン?

【統率】95(迫害されながらも新興宗教イスラム教団をしっかりと組織し、亡命先の
       メディナ(ヤスリブ)を拠点として形勢を挽回、遂に史上初めての
       全アラビア半島統一に成功する。旧来の慣習に固執する諸部族を預言者の
       権威によって巧みに統合した)
【武力】88(指揮官としても一流。 有名なバドルの奇襲戦をはじめ、多くの戦いで
       連戦連勝。生涯ただ一度ウフドの戦いに大敗したことを除けば、まずは
       常勝不敗といってよい。アラビア地域において初めて本格的な城塞防御
       戦法を導入した人物でもある)
【知力】95(政治家としても武人としても超一流の人物。真面目なムスリムに怒られる
       かもしれないが、仮に彼が意図的に預言者のふりをしていたとすれば
       非常に巧みな役者。また真の預言者とすれば、もちろん頭はよいだろう。
       預言の真偽については「信仰上の真実」として、実際に起こった明らかな
       史実だけから見ても、このくらいの能力はある)
【政治】95(建国者であり、世界宗教の開祖であり、立法家であり、裁判官であり、
       見事な行政官でもある。迫害される小宗教団体を、全アラビアの盟主に
       までした人物)
【魅力】97(啓示を受ける以前から「誠実なる者」として周囲の信頼を集めていた。その
       性格を見込まれて裕福な未亡人ハディージャの婿に迎えられる。寡黙で
       思慮深く、やや近寄りがたい雰囲気を持つが、弱者への憐れみの情が強く
       貧者への喜捨を好んだという。啓示を受けた後は、教団からほとんど脱落者
       を出さず、逆に、後にカリフとなるウマルをはじめ当初イスラム教団に
       敵対していた人々をも、そのカリスマ性で次々と教団に吸収してしまう。
       亡命先のメディナでも、見ず知らずの外国人でありながら市の支配を
       委任される。彼の死後アラビア各地でたちまち反乱が続発したのも、彼の
       類まれな求心力を物語っていよう)

[203] マフムード 2004/02/14 13:36

【特技】啓示を受けること、天使と会話をすること、瞑想、奇跡(夜の旅)、説法、調停、一喝、脱出
【苦手】賭博、酒、偶像崇拝?

[特徴]メッカのクライシュ族、ハーシム家のアブドゥッラーとアーミナの子として
     生まれる。幼くして両親を失い、祖父、ついで叔父のアブー・ターリブに
     よって育てられた。12歳の時叔父の隊商に従ってはじめてシリアへ旅行し、
     キリスト教の修道僧に預言者としての運命を予言されたといわれる。
     25歳の時、年上の裕福な未亡人ハディージャに誠実な性格を見込まれて
     結婚する。15歳も年齢が離れていたが、夫婦仲はよかったと伝わる。
     結婚後の彼はキャラバンの采配や店の切り回しに辣腕をふるったが、伝説に
     よれば610年9月、メッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想中、突然天使ガブリエル
     の姿を目にし、唯一神アッラーの啓示を受けた。
     神の声に従いムハンマドはイスラムの教えを説き始めるが、多くの人々に
     はじめは嘲笑、後には迫害され、最大の庇護者であった妻ハディージャと
     叔父アブー・ターリブの死を契機にメディナへの移住を決意。
     その後形勢を盛り返すためメディナを拠点に、メッカの隊商への襲撃と
     戦闘を繰り返し、630年には遂にメッカを征服。カアバの大神殿に並ぶ
     無数の偶像を次々と破壊し、この神殿をイスラムの聖地と定めた。
     並行してアラビア半島の統一も進行。メッカ征服後間もなく全アラビアの
     諸部族が彼のもとに使節を送って服従を誓った。
     二年後の632年没。
[備考]ムハンマドはまだまだあまり実像が知られていない上、最近のイスラム・テロで
     いろいろと誤解の多い人物だと思います。
     彼が一人の宗教家であるのは確かですが、よりそれ以上に英雄、建国者、
     政治家として見ることができるとわたしは思っています。それにしても……
     ――なんていうか……バイバルスよりも強い。勝てるのはユリウス・カエサル
     ぐらいのものだろうか?

[204] マフムード 2004/02/14 14:54

知力の問題。

アリストテレスやライプニッツやイブン・アラビーみたいな天才たちと
ビスマルクや張良みたいな天才たちと
同列で論じるのは無理がありますよね。
でも歴史人物なら誰でもOKなわけだから、これはどうしたものでしょうか?
知力というカテゴリーで統一してしまうか、あるいは特技という感じにするか……

[205] マフムード 2004/02/20 23:36

ちなみにこれらを知力で評価すると、

万学の祖アリストテレス、万能の天才ライプニッツは知力100
アインシュタインが知力96程度
デカルトやカント、スピノザ、数学者ガロアなど著名思想家が
軒並み90以上に

という感じになると思います。知力だけ突出して高数値者が多いのも困り者ですが、
かといって単なる特殊技能では彼らの卓越性を十分に表せないのではないかという問題があります。
それにせっかく「歴史人物なら誰でもいい」ということになっているわけですし……

[206] マフムード 2004/02/22 19:17

アブー・バクル(573〜634)
正統カリフ時代イスラム政権 初代カリフ(在位632〜634)
正式名:アブー・バクル・ブン・アブー・クラファ
活動地域:アラビア半島

【統率】85(類まれな指導者ムハンマドの死後に各地で起こった混乱の中でも、
       教団国家の中核を維持した)
【武力】58(別にこれといった武勲はない)
【知力】70(独創的なところは何もないが、平均よりは上だと思われる)
【政治】78(混乱・動揺期の調整者)
【魅力】86(人望が厚く、ムハンマドよりもむしろ彼の影響で入信した者も多いと
       伝わる。教祖の死にゆれる教団の中で一応満場一致で後継者に選ばれた。
       ムハンマドの最大の親友でもあり、彼の娘アーイシャはその愛妻)

【特技】特になし
【苦手】特になし

[特徴]頑固。誠実。涙もろい。
[備考]ムハンマドの親友で岳父。‘聖遷’時もムハンマドに随行。
    (初代正統カリフであるということ以外に特に重要な特徴・経歴はないので
      列伝は省略します)

[207] らいた 2004/02/24 18:00

>>202
高すぎです。

>>206
低すぎです。

[208] マフムード 2004/02/24 18:32

>>207
同意……と自分で言うのも変ではあるけど
確かにムハンマドは少々高すぎかな、という気はしていました。
特に武力。
まああまり知られていない時代・場所だから、どうせなら
ちょっとアクションがあった方がいいかとも考えました。
それにしてもやはり高すぎですね。

らいたさんはイスラム史に詳しいのですか?
もしそうだったら、ハーリドやアムルなどを評価していただけませんか?

[209] マフムード 2004/02/24 18:34

ムハンマド、武力だけじゃなくて全部高すぎかな。

90,75,80,85,95くらいでどうでしょう?

[210] らいた 2004/02/27 02:01

>>209
いえ、ムハンムドの評価は実は結構納得してたりするんですけどね(笑)
イスラムの教祖であり、創始者でもありますから。
数値化は得意でない(他人物との比較が難しいですから・・・)んですが、
94、85、93、90、97 くらいかな? 高すぎは言い過ぎでした。

僕が言いたいのは、アブー・バクルの評価は、少々酷じゃないかって事ですね。
まず、偉大な預言者を失い、分解しかけたイスラムを僅かな期間で纏め上げたのですから。
イスラム帝国の創始者と言ってもいいと思うので、統率90以上は欲しい所です。
武力はそれくらい。
知力は、ムハンムドの死にも冷静であり、全てに措いてそつがなく、冷静に対処できる人物でした。
80は欲しい所です。
政治は、ムハンムド存命中も、実務面において役に立っていたと思われます。
ただ、根拠が少なく、特にこれと言った事績がないのも確かなので、70台だと思います。
魅力は、90は駄目でしょうか…?

統率92 武力53 知力84 政治75 魅力90 くらいかな。

[211] らいた 2004/02/27 02:20

>>208
僕は中国史専門なので、イスラムについては人並み以下の知識しか持ち合わせていません(笑)

霍去病(前140〜前117)

統率 76(数々の軍功を持つ名将。 ただ、一人の将軍に過ぎないので控えめ(?)に)
武力 92(有効かつ敏速な騎兵戦術を用いた司令官で、匈奴戦で大活躍。 武帝に贔屓されていたとはいえ、匈奴の主力を壊滅させた。)
知力 81(戦略立案を得意とし、戦場以外でも勝つことが出来る将軍。)
政治 26(政治とは無縁な人。 性格からして、とても得意そうには思えない。)
魅力 84(部下を労わることのない人物のくせに部下から好かれ、武帝の寵愛を受けた。
     客観的に見て嫌われるだろう性格を、「傍若無人」と置き換えられ、
     逆に人気を上げる所を見ても、かなりの魅力の持ち主だったと思う。)

ついでに
衛青(?〜前106)
統率 74(軍功を考えての評価)
武力 88(匈奴相手にしばしば戦果を上げた名将。 90は付けられないと思う。)
知力 80(この人も戦略立案を得意としている。)
政治 35(政治とは無縁なものの、謙虚な性格から、霍去病よりはマシだったと思う。)
魅力 34(人々から自分の持つ謙虚さを卑屈と捉えられ、卑屈な人物と思われていた。
     武帝からもあっさりと捨てられている。 ここが、霍去病との分かれ目(笑))

[212] にいなめ 2004/02/27 04:11

豊臣秀吉
武力?個人的勇武は匹夫の勇
用兵83殿が出来るのでそこそこ高い
知力93意味の無い戦争は一回もしてない
政治100戦争は政治の一部と完璧に理解してた人
魅力100人たらし
[特徴] 猿 当時珍しく生粋の女好き
[備考
朝鮮出兵は、国内の働きを失った武士=野盗を国外に追っ払い
国内の治安を好くするためと大名家の力を弱め
豊臣政権を完璧にするためにやった。
なので勝敗はたいして関係なっかた。
因みに当時の中国の本には秀吉は中国人説が出るくらい
有能な人物

[213] らいた 2004/02/27 12:48

>>212
日本の人物を批判する気は無いけど、
こんな100を連発するのはおかしい。
最高が120ならともかく。

豊臣秀吉(1537〜1598)
統率 87(信長死後、迅速に天下を統一した。)
武力 71(あくまで有能クラス。 特に、評価すべき勝利は無いと思う。)
知力 86(戦略そのものを理解していた。 ただ、朝鮮出兵はどう考えても、
    戦略的に迷走してると思える。 全盛期は91くらい。)
政治 90(日本に絶対的な支配組織をを確立した、超越した調整能力の持ち主。
    ただ、死後日本が分裂してしまったのが減点。)
魅力 78(恐怖政治は色々反感を受けている。)

これくらいでは?

[214] マフムード 2004/02/27 21:16

>>92
アブー・バクル低すぎですか・・・・・・
確かに、言われてみればちょっと酷だったかもしれませんね。
資料が少ないのと、数値のインフレ化が恐いんです。

意外と難しい人物ですね。正直90はどうかと思いますが、
あまり低くするのも・・・・・・平凡なようでいて偉人でしょうか。
いろいろ考え合わせると、らいたさんの設定数値にほぼ賛成です!
ただ90は・・・・・・後ですごい人物たちが出てきたときに数値付けに困りそうです。
85ぐらいでしょうか。

>高すぎは言い過ぎでした。
全然かまいませんよ。
お互い、適度に意見を言い合っていったほうが面白くなるでしょうし。

[215] マフムード 2004/02/27 21:17

>>211
衛青。
奴隷から大将軍に出世した人物だけに、柔和なようでいて
実は結構陰険だったりコンプレックスを抱えていたりしたのでしょうか。
わたしは基本的に、傲慢だったとされる霍去病よりも
衛青のほうに好感を覚えるのですが、スケールの小さい人物だったのかもしれません。
ただ魅力34はちょっと・・・・・・
姉への妃妾たちの嫉妬に巻き込まれて監禁されたときに
助け出してくれた親友たちもいることだし、45ぐらいは欲しいところです。
でもカリスマ性という概念から考えると、人当たりはよくても、
低いと見なさざるをえないのでしょうか。
特に李広の自刎事件が痛いですね。

>>212
[特徴] 猿 当時珍しく生粋の女好き
「猿」に笑いました・・・・・・

[216] マフムード 2004/02/27 21:20

>>214
間違えました。
>92 →>210です。

[217] らいた 2004/02/27 23:15

>>214
アブー・バクル結構好きなので、ちょっと高くしすぎたかもしれません。
でも、統率は90あってもインフレでは無いと思います。
ムハンムドほどの統率力と魅力を持った人物を失い、分裂しかけたイスラムを
僅かな期間で纏め上げた点は、超越した統率力の持ち主じゃないかなーと・・・

>>215
僕も衛青の方が好きですよ。 というより、霍去病には全く感情移入出来ないんです。
魅力に関しては、40を人並みとしているので、監禁されたとき親友に助けられた美談(?)
を加えても、人々からの評判の悪さから、40は無理かなというのが僕の考えです。
スケールの小さい人物と言うのは妥当でしょう。
李広の息子李敢に殴られて、黙ったままっていうのは謙虚というより、情けないかと。
まあ、問答無用で李勘を殺す甥さんよりはマシですが(笑)

博識なマフムードさんに、毛沢東の数値化やってもらいたいです(笑)

[218] WiNK a.k.a 脱クレクレ 2004/02/27 23:27

程普
武力 90
知謀 80
知力 70
魅力 90
統一 90
  特徴
程公と呼ばれるほど人望、武勇ともにすぐれた。
周愉が矢にたおれた時機転をきかせ、猛将曹仁を打ちのめした。

[219] the219 2004/02/27 23:27

アブー・バクルがお好きなんですか。
それなら>211の
>イスラムについては人並み以下の知識しか持ち合わせていません(笑)
というのはきっと謙遜でしょう(^^)。

>博識なマフムードさんに、毛沢東の数値化やってもらいたいです(笑)
いえいえ、買い被りですよ(笑)。
あちこちに首を突っ込んで覗きまわっているだけで(笑)、
博識なんて、とてもとても。
特に近代以降の歴史は(日本史・世界史問わず)あまり詳しくありません。
近代以前でも穴だらけなんですけどね……
というわけで、残念ながら毛沢東はちょっと手に余ります。ごめんなさい。

[220] マフムード 2004/02/27 23:28

↑なぜかHNが消えていた……といいつつ、上はわたしです。

[221] らいた 2004/02/28 01:46

>>219
僕は16のガキで、進級してから世界史受けるってレベルですから(笑)
今は何処にでもいる、「ちょっとだけ歴史に詳しい奴」レベルです(笑)
アブー・バクルは、ムロタニツネ象氏の描いた「世界の歴史」で、かなりいいヤツだったから、
好きになって、図書館とかHPとかでちょっと調べたってくらいです。
また、ムハンムドは、図書館で調べた本に詳しく載ってたから、結構知れました。
以上をもって、全く謙遜では無く、知識不足です(笑)

色んなスレで、マフムードさんのレスを見ますが、本当博識だと思いますよ。
凄いのは、全範囲に知識が豊富なところです。
僕は中国、日本、古代ローマ、辺りしか知らないですから(笑)
毛主席駄目ですかー。 じゃあ、唐太宗お願いできますか?

[222] マフムード 2004/02/28 15:28

李世民ですか。
そのうちやってみるのもいいかと思いますが、
残念ながら今、手元にまとまった資料がないので……
とりあえずしばらくイスラム初期の人々をやってから、
李世民にチャレンジしてみようと思います。

ただそれにしても、来週あたりからしばらく忙しくなるので、
来月半ばぐらいになってしまうかもしれません。どうもすみませんね・・(^^;)

[223] マフムード 2004/02/28 16:05

ウマル(?〜644)
正統カリフ時代イスラム政権 第2代カリフ(在位634〜644)
正式名:ウマル・イブン・アル・ハッターブ
活動地域:アラビア半島

【統率】86(急激に拡大するイスラム共同体の一体性を維持し続け、一癖も二癖もある
       人間たちを従わせ続けた。最後に暗殺されたのはちょっと痛いところ)
【武力】70(個人としては優れた戦士。戦闘指揮能力はアブー・バクルよりは上、
       アリーよりは下。「大征服」戦争については、彼が中央で全体の指揮を
       していたというより、各戦線で勝手に征服を進めていったという
       感じなので、基本的に考慮外)
【知力】69(全体に頭脳よりも力で勝負するタイプ。しかし決して馬鹿ではない)
【政治】86(イスラム共同体をアラビアの王国から西アジアの世界帝国へ変えた人物。
       続々と新たに加わる征服地、民衆を既存の機構に組み込み、統治組織を
       整備した)
【魅力】85(アブー・バクルが誠実さで慕われたとするなら、彼は剛毅さで畏怖された。
       公正ということを何より重んじ、そのためには罪を犯した自分の息子を
       我と我が手で処刑することすら厭わなかった。あくまで清貧を貫き、
       権力に溺れることなく、贅沢を排し、後には理想のカリフとされた)

【特技】 質素、剛毅、果断、自制、率直、敬虔、戦闘
【苦手】 堕落、贅沢、忍耐

[特徴] 背が高く、逞しい体躯をし、禿げ頭。短気だが率直で、自分の非を認めれば
     素直に反省する。精力的で剛毅果断な性格。贅沢を嫌い、信仰心が深く、
     いつも継ぎはぎだらけの服を身に着けて棕櫚の葉の寝台で寝ていた。

「イスラム帝国の序章」
イスラム入信以前はメッカの若者たちのリーダー格だった。仲間の若者たちが次々と
イスラムの教団に加わるので腹を立て、ムハンマドを嫌うが、やがて人々がイスラムを
迫害するのにさらに腹を立て、義侠心を発揮して自らイスラムに入信。
今度は教祖ムハンマドに傾倒し、持ち前の武勇を奮って迫害者を排除。
メディナ時代は勇猛な武将として活躍し、ムハンマド死後はアブー・バクルを後継者に
擁立する。アブー・バクルの死後、指名を受けてカリフとなり、大征服を進めた。
644年11月3日、集会の最中に私怨によって奴隷に刺殺される。

[224] マフムード 2004/02/28 16:42

ウスマーン(574?〜656)
正統カリフ時代イスラム政権 第3代カリフ(在位644〜656)
正式名:ウスマーン・ブン・アッファーン・アル・スフヤーン
活動地域:アラビア半島

【統率】47(一族を抑えられず、暗殺どころか、明らかに反乱といえるものによって殺される)
【武力】53(武勇や戦いに関しては、ほとんど話が伝わっていない)
【知力】60(もともと預言者の書記であり、在位中に『コーラン』成文化という事業を
       行っている。アラビアの一国家から世界帝国へ変貌していくイスラム共同体に
       とって、信仰の中核を誰にでも分かる形に整備することは最重要の
       課題だった。そこのところをきちんと理解していたと思われる)
【政治】57(預言者の言行録である『コーラン』を成文化し、編纂した。しかし一族の統制に
       失敗し、配慮を欠いた。賄賂を受け取るなど、評判の悪いカリフだった)
【魅力】70(いちおう選ばれて推戴されたカリフなのだから、決して最初から不人気では
       なかったはず。個人としては潔癖で敬虔な人物だったという)

【特技】 とくになし。
【苦手】 果断

[特徴]気弱。敬虔で勇気はあった。
[備考]4人の正統カリフ中、もっとも評判の悪いカリフ。
     決して悪人ではなく、また普通であれば特に悪名を立てられるほど
     貪欲だったとも思えない。しかしこの時代にカリフの地位に就くには、
     気が弱すぎ、力量が無さすぎ、そして運が悪すぎたといえるだろう。
     個人としては誠実で敬虔な人物だった。

[225] マフムード 2004/02/29 11:32

アリー(600?〜661)
正統カリフ時代イスラム政権 第4代カリフ(在位656〜661)
正式名:アリー・ブン・アブー・ターリブ
活動地域:アラビア半島

【統率】64(イスラム史上最初の内乱の末にカリフとなり、事態を武力によってしか
       収拾できなかった。妻の母アーイシャ、かつての親友タルハらを敵に
       まわし、シリアの太守ムアーウィヤは最後までアリーに従わなかった)
【武力】85(正統カリフ中、武人としてもっとも優れていたことは疑う余地がない。
       預言者在世中には、アブー・バクルもウマルも落とせなかったハイバル砦を
       アリーが陥落させ、カリフ就任後もシッフィーンの会戦でムアーウィヤと
       名将アムルの軍にもう少しで勝ちそうなところまでいった。個人レベルでも
       名剣ズ・アル・ファカールを携え、無敵の戦士として恐れられた)
【知力】43(ムアーウィヤ、アムルの策略に次々としてやられ、我と我が手で自勢力を
       瓦解させる迷走ぶり。予見力、洞察力、政治的計算力に欠けるといえる)
【政治】35(騎士道的な寛大・高潔・潔癖な人物であったが、政治家としては失格。
       馬鹿正直に不利な協定を遵守し、ハワーリジュ派という無用の敵を
       自ら作り出し、それによって暗殺されている)
【魅力】95(イスラム世界にあって、預言者ムハンマドに次ぐ絶大な人気を持つ。
       シーア派にとって彼はほとんど預言者その人に匹敵する重要人物で、
       それ以外の宗派にとっても高潔で寛大な理想のカリフ、騎士道精神の
       持ち主とされている。ムハンマドが最愛の娘ファーティマを与えたこと
       からもわかるように、彼は生前から非常に人気の高い人物だった)

【特技】 武勇、誠実、鼓舞
【苦手】 機略、洞察、決断

[特徴]預言者ムハンマドの娘、ファーティマの夫。敬虔で勇敢。
     顔色が浅黒く、禿頭で、濃く長く白い髭を持ち、中背で肥満ぎみ。
[備考]初代シーア派イマームと見なされる。

[226] マフムード 2004/02/29 11:33

列伝「悲劇のカリフ」
預言者ムハンマドの従弟にあたり、アブー・バクルらと並んで最初期からの信徒。
預言者の娘ファーティマを娶るが、その母アーイシャを不貞の疑惑で糾弾し、憎しみを買う。
戦場では常に預言者の側近く従い、バドルの戦いの際に預言者から名剣「ズ・アル・
ファカール」を与えられた。メッカ入城の際には預言者とともにカアバ神殿で偶像を
次々に打ち倒した。
ウマル晩年には六人制諮問会議「シューラ」の一員として選ばれ、656年にはウスマーン
暗殺の後を受けて第4代カリフに選出される。
敵対するメッカ党のタルハとズバイル、そして預言者の寡婦アーイシャがアリーの
継承権を否認したため、同年12月でイラクのバスラ郊外でメッカ党と交戦(ラクダの
日の戦い)し、これを破る。アリーはそのまま従来の都メディナに代えて、イラクの
クーファに居を移した。
シリアの太守ムアーウィヤはエジプトを征服した名将アムルと組んでアリーに敵対し、
ウスマーンの復讐を唱えて大軍を召集。657年七月、両軍はイラクのシッフィーンで
対戦するが、アムルの策略によってアリー優位の戦局は会談に摩り替えられ、その結果
アリーはカリフとしての法的資格を失うにいたる。
あまりにも甘いアリーの態度に業を煮やして、多くの信奉者がアリーのもとから離れ、
敵にまわる。その中で最大の一派、ハワーリジュ(分離)派はアリーに暗殺者を
送り込み、661年1月24日、アリーはクーファで毒剣によって刺殺された。
アリーの死後、信奉者たちは「シーア・アリー(シーア派)」を形成し、イスラムに
おける最大の非正統宗派となる。彼らは預言者の娘婿であるアリーとその子孫こそ
イスラム世界の唯一の主権者であると主張し、アリーを初代イマームと見なしている。

[227] マフムード 2004/03/01 14:45

李白(701〜762) 酒中の仙、詩仙
盛唐の詩人
正式名:李白(字:太白)
活動地域: 中華

【統率】19(詩人です)
【武力】34(剣の達人だったとか。でも戦争はどうかねえ……?)
【知力】80(さりげなく渤海国の文字まで解読できる教養の持ち主)
【政治】29(楊国忠、高力士を顎で使ったと思ったら……間違えて反乱軍に荷担)
【魅力】88(李白は一斗、詩百篇。以って壮士。彼を愛する者は天下に遍し)

【特技】 作詩、酒、武芸
【苦手】 禁酒(笑)

[特徴]お酒大好き! 「李白は一斗、詩百篇。長安市上、酒家に眠る。天子呼び来れど起きず、
            自ら称して臣これ酒中の仙」
    お月様大好き! 放浪の旅多く、彼の孤独を慰めたのは酒と月。最期は水に映った
    月を取ろうとして溺れてしまいました。一説によると月から地上に落ちてきた仙人だったそうです(^^)。
[備考]唐の大詩人です!

[228] クアウテモック 2004/03/01 18:33

クアウテモック(1521没) 
テノチティトラン11代目国王(すでにアステカは崩壊していた)
名の意味:降下する鷲
活動地域: メキシコ中央部

【統率】90 国中の兵士で抵抗行動
【武力】75 アステカは戦士の国だったがスペイン人にことごとく敗れる。
【知力】不明
【政治】ほとんど政治してない。
【魅力】60 勇ましい戦士である。

【苦手】 馬(騎兵)

[229] the229 2004/03/08 21:26

あの〜……教えてもらいたい事があるのですが……

軍略とか戦略、戦術ってなんですか?
馬鹿な質問で申し訳ありません。詳しく教えて頂けませんか?

[230] ZIRIA 2004/03/08 22:34

戦略は戦争を行う規模や補給方法、戦場を決めることで、
戦術は戦場において兵力を有効に活用して勝利を目指すこと

でいいんでしょうか? 軍略は??

[231] マフムード 2004/03/11 22:36

戦略は政治の一環――戦争自体をするかどうか・その最終目的は何に設定するか・そのための方策は何か・
     外交は・策略は・補給は・進撃ルートは……といったもの全部を含みます。

大して戦術というのは具体的に特定の戦場でどういう陣形を敷き、
     どう部隊や兵士を動かし、敵軍をどう攻撃するかといった狭い範囲の具体的な戦闘行為にかかわることです。

ようするに戦略は政治家・総合的ゼネラリストの考えること
戦術は職業軍人の考えることです。

[232] マフムード 2004/03/11 22:47

補足すると戦術というのは戦略の一部分ということになります。
戦略はより広く政治の一部分です。

このことについてドイツの軍事理論家クラウゼヴィッツは
「戦争とは他の手段によって為される政治上の目的を達成するための一手段である」
と言っています。

ようするに国家間の外交によって貿易の利権を獲得するとか、領土を割譲するとか、
そういった同じ目的をたまたま説得や政治的術策ではなく物理的な力(武力)を
つかって行うのが戦争。

戦闘はもっと限定的に個々の戦場で直接に兵士がぶつかりあう状況を言います。
戦争はそれ以前や以後に軍隊を移動させたり物資を補給したりといった状況も含みます。

政治に関する方策(やり方、計画、段取り)を総称して「政略」といい、
その内で特に「戦争」という種類の政治手段にかかわる方策を「戦略」
戦争全般の中で特に刀槍を直接交える肉弾戦にかかわる方策を「戦術」といいます。

一方で軍略という用語には、あまりはっきりした定義はありません。
戦術と同じ意味で使われることもあり、
特定の国家や集団・指揮官に特有の戦争・戦闘方法(武田の軍略・騎馬戦術とか)を
いう場合などもあるようです。

[233] the229 2004/03/12 17:24

>>230-232
詳しく教えて頂きありがとうございます。
勉強になりましたm(_)m

[234] マフムード 2004/03/13 10:24

隋の煬帝(569〜618)
隋帝国 第2代皇帝(在位604〜618)
正式名:楊広
活動地域:中華

【統率】42(大規模な政治改革・国土改造を行ったが、民衆の間には徐々に不満が蓄積していった。
       それに気付くことなく三次にわたる泥沼の高句麗遠征を行い、各地に反乱を引き起こす。
       その後はそれを収拾しようという素振りも見せることなく、逃げるように江南に行幸。
       クーデターにより側近に殺害された)
【武力】48(三度にわたる高句麗遠征に失敗。この失敗は帝国の存続に致命的な結果をもたらす)
【知力】69(初期には素晴らしかったが、高句麗遠征失敗後次第に意固地となり、大局を見る目を
       失っていく。要するにその挫折に耐えられない程度の人物だったということだろう。
       遠征の補給体制構築などにもやや配慮を欠いたきらいがあるが、最もよくないのは
       遠征を中止する機を誤ったことである)
【政治】85(皇子時代は巧みに自分の性格を演技して節倹好みの父・文帝の心をとらえる。
       即位後は遷都・運河建設・長城修築など大々的な国土改造を断行。
       法典の改正や戸籍の総調査など、初期の政治には大いに見るべきものがある。
       後半の堕落は政治的処理能力を喪失したというより、その能力を行使する意志を
       失ったように思える)
【魅力】77(帝王としてはやや問題があるが、個人としてはすぐれて魅力的な人物だった。
       歴代皇帝中屈指の才能を持つ詩人であり、深い教養を持っていた。
       パフォーマンス好みで諸外国の使節を大パレードや祝典で驚かした。
       巧みに孝行息子を装って兄弟を追い落とし、父を暗殺?して位につく)

【特技】作詩、大工事、酒、演技、讒言、暗殺、諦念
【苦手】持続する意志

[特徴]生まれながらに容姿が美しく、賢明で、厚く仏教を敬った。詩人としても優れていたが、
     政治家としては失格。豪華華麗なことが大好きで様々な逸話が伝わる。
     それは民衆の負担となって跳ね返り、帝国の衰亡を招いた。
[備考]彼の死後に天下を制した唐、特に太宗李世民時代に彼の事績について様々な曲筆が行われた
     と見られ、その実像を探るのは容易でない。しかしいずれにせよ彼が単なる暴君で
     なかったのは確かである。

[235] マフムード 2004/03/13 11:26

李世民(598〜649) (太宗)
唐帝国 第2代皇帝(在位626〜649)
正式名:李世民
活動地域:中華

【統率】98(歴史上もっとも部下にめぐまれた君主ではなかろうか。どれを取っても
       それぞれ単独で一方の雄たりえたであろう名将名臣たちを自在に使いこなし、
       その統制に乱れを見せることがなかった。身分・前身を問わず人物の才能を
       見抜く能力に非常に優れ、その才を愛した。
       漢民族だけでなく異民族の間にも権威を確立し、「天可汗」の称を贈られた)
【武力】88(名将である。戦術面に独創性はなく、定石通りの戦法しか使用していないが、
       それでいて常に勝利を手にするというのは、なまじの武将よりはるかに優れた
       能力を持っていたということであろう。個人としても勇猛果敢で優れた戦士であり
       弓術に秀でていた)
【知力】95(政治の本質を理解し、公正であり、民の福利を重んじたことは、啓蒙君主と呼ぶに
       値するであろう。その政治思想は『貞観政要』に伝えられ、これは広く東洋世界で
       帝王学の教科書として読まれたのみならず、近代ヨーロッパの諸思想にも若干の
       影響を与えている可能性がある。権謀を好んだわけではないが必要とあらば術策を
       用い、兄弟や父を排除している。煬帝にはやや劣るが、文化人としても優れており、
       学者を尊び、学問に関する討論を喜び、古今の図書を収集し、学芸を振興した)
【政治】94(バランス感覚に優れ、実務能力も高かった。多くの改革を実施し、広く東アジア諸国の
      法政治体系に影響を与えた貞観律令格式、三省六部を中核とする官制、人材登用の制度
      である科挙制、土地制度である均田制、税制の租庸調制、軍制の府兵制を整備。唐帝国
      繁栄の基礎を築いた実質的な建国者である。対外的にも武力と外交を使い合わせて北方の雄
      突厥、西方の吐蕃(チベット)、西域諸国を影響圏・勢力圏に組み込み、北方遊牧民世界の
      盟主として「天可汗」の称号を奉られた。
      高句麗問題と後継者問題の蹉跌で失点)
【魅力】93(まことに威風堂々。群雄の一人李密ははじめて李世民を見て「真の英主なり」と感嘆した。
      詩人としても書家としてもまずまず。そして度量が広く、諫言を喜ぶどころかむしろ
      奨励し、公正を重んじた。史上有数の能力を持つ武人や文官たちが彼に従っていたこと
      からも、そのカリスマ性が知られる)

[236] マフムード 2004/03/13 11:46

【特技】 武勇、武芸、馬術、決断、演説、説得、鼓舞、一喝、脱出、威圧、人物眼、
     容言(よく諫言を容れる)、兼聴(広く意見を聞く)、狩猟、作詩、書道、文筆、暗殺
【苦手】 酒

[特徴] 幼いころに彼を見た一人の書生が「龍鳳の姿、天日の表、年まさに二十、
     必ず世を済い民を安んぜん」と予言したことから「世民」と名付けられる。
     幼いころは病弱だったというが、長じて数々の戦で活躍した。弓の達人であった。
     狩猟をこよなく愛し、過度の狩猟を度々諌められている。
     書の愛好家でもあり、中でも王羲之の書を好むこと甚だしく、その最高傑作
     といわれる「蘭亭序」を所有者から策を弄して騙し取ったあげく自分の陵墓に
     副葬させている。
     息子への教訓を記した『帝範』四巻の著作があり、また彼の詩は『全唐詩』に
     計六九首残っている。臣下との問答集『貞鑑政要』、『李衛公問対』も名高い。
[備考]玄武門の変をはじめ彼の生涯にはいくつかの汚点があり、それらの多くは史家の
     曲筆によって隠されている。彼自身、自分の業績を記した史書に検閲を加えた
     といわれている。ゆえに彼の事績とされるものも、多少は割り引いて考える
     必要がある。

列伝:「龍鳳の君」
中国史上最大級の名君にして英雄とされる。
二十歳の時、太原留守(軍長官)であった父・李淵を促して決起させたといわれ、
その後優れた軍事的才能を発揮して各地の群雄を次々に破り、626年、対立していた
兄弟・建成と元吉を「玄武門の変」で暗殺し、父を退位させて自ら帝位につく。
23年間にわたる治世は「貞観の治」として称えられ、国力は充実し、領域は拡大し、
国家は安定して太平の世が実現された。晩年高句麗遠征や後継者問題などでいくつかの
ミスを犯したが、全体としては文武に優れ、古今稀に見る偉大な帝王であったと評価できる。

[237] みんみんぜみ 2004/03/14 11:28

[気に入る]
ザ掲示板 > THE歴史
歴史人物を評価しましょう!!全て表示 1- 101- 201- 最新40 最新10、多少は割り引いて考える
     必要がある。

列伝:「龍鳳の君」
中国史上最大級の名君にして英雄とされる。
二十歳の時、太原留守(軍長官)であった父・李淵を促して決起させたといわれ、
その後優れた軍事的才能を発揮して各地の群雄を次々に破り、626年、対立していた
兄弟・建成と元吉を「玄武門の変」で暗殺し、父を退位させて自ら帝位につく。
23年間にわたる治世は「貞観の治」として称えられ、国力は充実し、領域は拡大し、
国家は安定して太平の世が実現された。晩年高句麗遠征や後継者問題などでいくつかの
ミスを犯したが、全体としては文武に優れ、古今稀に見る偉大な帝王であったと評価できる。

説明

[238] マフムード 2004/03/15 21:18

もうすぐこの旧タイプザ・掲示板には書き込めなくなるそうなので、
今のうちに、勝手ながら、今までに評価された歴史人物たちをまとめておきます。

それはそれとして、新式の掲示板の歴史学カテを開こうとすると、
なぜかいつも強制終了がかかるのですが………???

[239] マフムード 2004/03/15 21:25

>>238
>まとめておきます。
     ↓
 まとめさせていただきます。

[240] マフムード 2004/03/15 21:46

>>2 森元総理
>>3 織田信長
>>4 武田信玄
>>5 項羽
>>13 呂布
>>15 于禁
>>23 徐晃 
>>24 豊臣秀吉
>>25 曹操
>>26 劉備
>>27 島津義弘
>>31 李典
>>32 伊達政宗
>>33 馬岱
>>34 本多忠勝
>>35 紫式部
>>36 今川氏真
>>39 大谷吉継
>>41 竹中重治(半兵衛)
>>46 張遼
>>47 柴田勝家
>>51 諸葛孔明
>>52 源義経
>>53 ハンニバル
>>61 ヌルハチ
>>62 曹操
>>64 呂布
>>65 真田昌幸
>>66 劉備
>>67->>68 アレクサンドロス大王
>>69 ハンニバル、大スキピオ
>>70 ハンニバル
>>71 項羽
>>72 小スキピオ
>>74 関羽
>>100-101 クィントゥス・ファビウス・マクシムス

[241] マフムード 2004/03/15 22:18

>>102マルクス・クラウディウス・マルケルス   >>103桂小五郎(木戸孝允)
>>106-107ケマル・アタチュルク  >>112鄭和  >>113劉邦  >>115朱元璋 
>>117桓温  >>118謝安  >>119冉閔  >>120漢の宣帝  >>121宗沢
>>122(この俺様)  >>123大祚栄  >>124サラディン  >>125劉邦
>>126項羽  >>127武田信玄  >>129藤原仲麻呂(恵美押勝)、菅原道真
>>130石原新太郎、小泉純一郎、安部晋三  >>131鳩山由紀夫、管直人、土井たか子
>>134野中広務、鈴木宗男、河野洋平  >>135バシレイオス2世
>>136アウグストゥス(オクタヴィアヌス)  >>137(マイク・タイソン)
>>138コンモドゥス  >>140グスタフ・アドルフ  >>142-143漢の武帝
>>153バーブル  >>154リチャード1世  >>156-157フィリップ2世
>>159-160バイバルス1世  >>163-164フリードリヒ1世(バルバロッサ)
>>167聖徳太子  >>168宋の襄公、楚の荘王  >>169サラディン
>>177ルター  >>178マハムード・ダーウーディー  >>180康熙帝
>>181偽ドミトリー1世  >>182ヒトラー  >>185雍正帝  
>>194乾隆帝  >>196-197ピョートル大帝

[242] マフムード 2004/03/15 22:26

>>200張良
>>202-203ムハンマド
>>206アブー・バクル
>>210ムハンマド、アブー・バクル
>>212霍去病、衛青
>>213豊臣秀吉
>>214豊臣秀吉
>>218程普
>>223ウマル
>>224ウスマーン
>>225-226アリー
>>227李白
>>228クアウテモック
>>234隋の煬帝
>>235-236李世民(唐の太宗)

[243] マフムード 2004/03/15 22:57

今まで誰もやっていないようなので……

徳川家康(1542〜1616)
徳川幕府 初代征夷大将軍(在位1603〜1605)
正式名:徳川家康(三河守、内大臣(内府)、征夷大将軍、源氏の長者……)
活動地域:日本

【統率】82
【武力】74
【知力】83
【政治】87
【魅力】75

【特技】忍耐、辛抱、武芸、挑発、懐柔、一喝、脱出、暗殺
【苦手】陽気、羽目をはずすこと

[特徴]狸面
[備考]趣味は薬作りと鷹狩

[244] 尾羽張 2004/03/16 13:55

田沼意次(1719-1788)
江戸幕府の側用人,老中。

統率 43 本来の幕政の方針を踏襲すべきだという幕府内外の
     保守層の反感を抑えられなかった。息子意知が佐野政言に
     江戸城中で傷つけられて死ぬという事件など
武力 ? 特になし。
知力 78 幕府制度の構造的欠陥を見抜き、その政治は幕末をつくるきっ
     かけになったともいえる。    
政治 86 (1)豪農・商人の編成(座や株仲間の増設など)を通じて商品生産を
     掌握した。
     (2)貸付金制度など幕府経済の自立性をはかった。
     (3)長崎貿易における金・銀の輸入,輸出品確保のための銅座や
     俵物役所の設置など貿易・鎖国体制を見直して対外経済関係の展開
     をはかった。
     (4)蝦夷地開発計画,蝦夷地直営交易計画をおこなった。
魅力 42 松平定信の個人的な復讐や幕府への不満をそらすため賄賂の代名詞
     として扱われた。
出世 85 600石取りから5万7000石の大名にまで出世。戦乱ならともかく平和
     な時代でここまで出世した人物は日本ではまれであろう。しかし寵愛
     を受けていた将軍家治の死により失脚。孫意明がわずかに1万石の領主とし
     て家名を継ぐことを認められた。

[245] 2004/03/16 16:17

〔静御前〕
統率 ? 女ですよ、義経の
武力 ? しずちゃんの戦ってる伝説無い。
知力 90 舞まうぐらいだし
政治 ? 夫・義経はあんまり。
魅力 99 日本一と帝に言われたぐらい。
出世 99 義経の妻として。
特徴 政子さまに負けず劣らず強っ!
   だって頼朝を小ばかにしたほど

[246] マフムード 2004/03/17 16:20

新掲示板の方にも評価スレッドを建てようと思うのですが、
どうでしょうか?

[247] らいた 2004/03/20 00:32

−新掲示板に新スレ建てました−

今後、このスレへの書き込み、数値化等はご遠慮下さい。

[248] 「ノ「ハ 2004/03/22 17:25

、「、オ、マ、鬢キ、遉ウ
スyツハ。。。゙。。
ホ菽ヲ。。。゙。。
ヨェチヲ。。。゙。。
ユホ。。。゙。。
チヲ。。。゙。。
ウタ。。。゙。。
フリ衝。。。゙

[249] ゆう 2004/03/22 23:03

sss

[250] ナチ 2004/03/26 23:22

武力100、当時ドイツの科学力は世界一
知力95、IQ150ですからねえ
智謀95、いわずとしれた電撃戦
統率100、ハイルヒトラー
魅力100、全ドイツ国民を席巻した
政治100、失業率回復
出世100、ボヘミアの伍長から総統へ
ハイルヒトラー

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